[Friday Mar. 11, 2005] --- A.M.5:40起床 ---
**  ふぅ。なぜか二日連続ため息で一日をスタートさせてみる。…なんでだろうか。微妙な、寂しいような満ち足りたような、なんとも言えない気分である。ちなみに、いきなり話を脱線させると、この”気分”と言うヤツは厄介である。”感情”と対比してみると、それがよく分かる。
つまり、気分というのはそれを抱く本人にも、何故そう思うのか、そう感じるのかが曖昧なまま、しかしその気分だけははっきりと自分の中に存在する、言わば理由無き精神活動、とでも言うべきものである。何となくイライラする、何とはなしにもの悲しい、とか。この、何となく、というのがポイントである。たぶん。
一方で、感情と言うのはもう少しはっきりしたもの、例えば世の中の非道に対して憤慨するだとか、誰かから誉められて嬉しいとか、穴があったら入りたいほど恥ずかしいとか。根拠のはっきりしている―それが誰にとっても合理的な認めうる根拠かどうかはともかく、少なくとも本人にとっては―強い感覚である。
であるから、感情と言うのは何と言うか、それを抱く本人が一体感を持ちやすいというか。自然にそういう感情を受け入れる事が出来るものだと思われる。あぁ、自分はこういうことに対して怒る人間なのだな、とか、こういう人が好きなんだな、と自分を発見する事はあっても、そう感じる事自体には疑問をもつ余地は、普通は無いだろう。
また、根拠が自分にとって明確であるからこそ、その感情を自分で制御することも、原理的には充分可能であると思う。
この制御可能な、こんとろーらぶるな(最近横文字が多い、と怒られたりする)性質を持つ感情と言うものに対して、気分と言うヤツは何故そう感じるのかが容易には分からず、制御し辛い事が多い。なんというか、精神活動を測る何かしらの物理量、たとえば心の温度のようなものがあると仮に考えるなら、”気分”の温度というのは”感情”のそれに対してずっと低いのではないだろうか。ヌルい、しかし確実に何も無い状態と比べると何かしらの活動が脳内で行われている。その結果、何となく嬉しかったり哀しかったりする。しかし、明確な原因は明らかではない。この、もやもやとしたものと言うのが実に厄介である。
何となれば、それは根拠が、原因が分からないから、そう自分が感じる理由、原理が明らかでないからだ。身体の病気もそうだが、原因が分からなければ、根本的な対策が取れない。対症療法を取る以外に、術が無いのだ。
これは同時に、上で感情の所で触れた、自分自身の制御というものに直接効いてくる。”気分”と言うヤツの全体像、何故生まれてどういう過程を経て、自分の中に生じてくるのか。その全体的な理解が出来ないと、それを制御する事も難しい。何と言うか、気分的に(これも気分である)”勝てない”ような気がするのだ。何に勝つのか、と言われれば、自分自身に、だろうか?
まぁしかし、この自分に勝つ、克己心と言うのは、もしかしたら(人によっては)根本的に満たされないものなのかもしれない。
これは、ちょと説明するのがめんどくさくなってきたので、以上のような考察は、山崎正和著「鴎外 闘う家長」や、同「不機嫌の時代」に詳しい、とreferする事で三十六計逃ぐるに如かず、とする事にする。スタコラっしゅ彡
**  話が逸れ過ぎてしまってアレだが。段落まで変えてしまった。。。
まぁとにかく、冒頭に戻ると、そのような感情未満の気分を抱えているこの頃である。で、その気分を扱う一つの方法として、感情を抱くにおいては疑いもしない、その明確なるはずの根拠を探ってみる事、がある。自己分析というヤツである。
思うに、自分の今の状況と言うのは、修士論文という公のやるべき事が終わった直後に、投稿論文書きと言う、全く自分の自由意志によって行わなければならない作業に1ヶ月以上没頭してきた、というものである。その論文書き作業もいよいよ終盤を迎え―これは時間的制約にもよる、半ば強制的なものでもあるが―、コトの終わりに際して抱きがちな、満足感とも寂寥感ともつかぬ、曖昧模糊とした気分を感じているようである。
まぁ、その気分が実害を及ぼすようならば何らかの対策を考えなければならないが、今はとりあえず暫定的な分析と表面的な理解にとどまる事で充分だろう、という感じである。あまり突き詰めて考えても答えが出ず、却って煩悶する事になる可能性もあるのが、この気分というものを厄介たらしめている一要素でもあるし。
- 朝っぱらから頭を無駄に働かせつつ、本日の予定。というか、もう週末である。なので、今日のボスの論文チェックを受け、それを直せるだけ直して、自分としては終了、という方向に持っていきたい。
**  そういえば、今週末は大学の後期二次試験である。このセンター試験の次にある、大学個別の前・後期試験体制は来年あたりで終わるそうで、京大(理学部?)は、センター試験と大学独自の試験、の二本柱で行くそうな。ふぅぅん。
しかし、新入生歓迎・勧誘の人々が集っている中を研究室にスタスタ向かっていたのだが、まだ年若そうな(いくつ下だ…あぁ、4つ下のぴちぴち20歳とかいるのか…がっくし)女の子の集団に、新入生ですかぁ〜?などと華やかに尋ねられる。ぐはぁ。。
すんません、もうあと3週間ほどで卒業してしまうのです。。。
とは言わず、にこやかな表情で「ぁ?新入生だ?」などと聞き返したのは言うまでもない。う〜んひどいなぁ。
戯言はともかく、若く見られて喜んでいいのやら、年相応の落ち着き振りを醸してないという事で悲しむべきなのやら、めっきり老け込んでしまいがちなおぢさん的若者にはフクザツな気分であったりー。みたいなー。