[第四週]


2月28日     3月1日     3月2日     3月3日     3月4日     3月5日     3月6日


[Monday Feb. 28, 2005] --- A.M.5:10起床 ---

**  週末二日、遊び倒して月曜日。二月も終わりの週始めである。当初の予定では2月一杯でなんだかんだの仕事は終わりにしたかったのだが。。まぁ、甚だしくムリであった。恐らく3月一杯、ぎりぎりまでこの生活が続きそうな予感がしている。論文書きのとりあえずの仕上げ、研究の引継ぎやデータベースの引継ぎなど…引き続き、予定を考えると気が滅入る月になりそうである。
しかし思うに、自分にとってはこの方が向いているようだ。つまり、遊ぶ時間だけあっても何と言うか多分、困ってしまうのだ。かといって、働く時間が長すぎても無理である。我ながら全くワガママである。
しかし同時にこの、自分にとってちょうどいい、遊びと勤労のバランスを追求する事が、差し当たりこの胃腸虚弱な24歳男性が大人になる為に、必要な事なのではないかとぞ思ふ。のでもある。
その事が実感された、本当に心から身にしみたという事に依るだけでも、何十年か後に振り返った時に、この京都大学での学生生活というのは、自分にとって非常に重要な意味を持つのではないかなぁと予想している。はらたいらさんに3,000点くらいはあげたい。結果、どうでしょうか?>未来の自分






[Tuesday Mar. 1, 2005] --- A.M.4:00起床 ---

**  昨夜はなんだか知らないが21時ごろから妙に眠くて、それでも懸命に起きていたのだが、22時半を前にして力尽きた。まったく、(多分昔の)小学生みたいである。
ともあれ、遂に3月に入ってしまった。最近は朝6時になるともう空が明るみ始めていて、まだ寒さは去らないものの確実に冬が過ぎ去っていく事を感じさせられる。哀しいばかりである。嗚呼、冬が終わってしまう…
ちなみに、これもなんでだか分からないが、自分は冬が大好きである。雪も好きである。秋も、その枯れた雰囲気が好きである。金木犀の香が漂ってくると、訳もなくノスタルジックな気分に浸ってしまう。
逆に、夏はあまり好きではない。京都のうだるような夏はキライである。一年周期のバイオリズムを考えた時、その底の時期が夏に当たる事が、年を経るごとに確信されつつある。では春は、というと、まぁまぁ好きである。花見はしたいし。しかし、次に控えている夏の圧力をひしひしと感じる季節でもあり、ある意味戦々恐々とする季節でもある。…変わっているだろうか。。いや、しかし自分の周りには案外、冬派、夏嫌い派が多い。
のでよしとする。ノットマジョリティ、万歳。

**  昨日のゼミで確認したのは、大学卒業までの今後の活動予定と方針であった。また、一応論文の方も大筋の流れはこれでOK、という感じである。論文書きのみに専念するのは、長くても3月2週目くらいが限度だろうか。GPSデータベース引継ぎ作業、観測機引継ぎ作業も漸次行っていく。さすがに、そろそろ身辺整理も始めないといけないし。
ちなみに3月3,4日辺りには、観測機を現在載せてもらっている、海上保安庁の観測船「つしま」に行く事になりそうである。恐らくこれが最後の訪問になるのだろう。なんとなく、手塩にかけた観測機とお別れするのには、一抹の寂しさを感じたりもする。個人的な話だが、これって自分の
PCやバイクに向ける愛情みたいなものと、同類のものである。言葉にするのが難しい、所謂クオリアってやつか。。

何だか眠い一日である。。。午前中が潰れてしまって、どうも一日のやる気が低下してしまった。いかんいかん。
とりあえず、海上保安庁の観測船「つしま」に3日お邪魔する予定が確定になったので、メール連絡を入れると共に新幹線のチケットなどを準備。初めて大学生協ルネで購入。便利だったのね。。。






[Wednesday Mar. 2, 2005] --- A.M.4:00起床 ---






[Thursday Mar. 3, 2005] --- A.M.4:30起床 ---

**  昨日は、予定ではすこし早めに東京入りして21時には実家着、くらいで考えていたのだが、論文ディスカッションやら事務室での雑談やらをしていたら、普通に18時出発になってしまった。。京都駅で夕食を済ませて、ちなみにこの夕食時に、某とんかつ屋さんで隣り合わせた中年カップルは、かなりアレだったのが…紙面の都合で詳述は割愛する。
19時半過ぎののぞみに乗り込んで、満腹感もあって小説を読みながらいつしか寝入っていた。新横浜に着く直前くらいに目を覚ましたのだが、その時ふと、奇妙な感慨に襲われた。
あぁ、今自分はものすごく特殊な、そして多分ものすごく幸せな時間を過ごしているのだな、という事が、唐突に理解されたのだ。「今」というのは「今この瞬間」ではなくて、論文書きのみに没頭していたここ一ヶ月くらいの時間スケールの話である。なんと言うか、寝起きのけだるい浮遊感の中で、自分が自分を離れて見つめていた、とでも表現すればよいだろうか。我々が普段認識している、また周囲の人たちに認識されている「私」というのは、しばしば他者との関係性の中で発生した、いくつもの「私」である事が多い。
誰しも、友人と接する時、初めて会った人に挨拶する時、師に教えを請う時、肉親と団欒する時、恋人に愛を囁く時、それぞれに少しずつ異なる「私」が存在すると言う事を、経験的に知っているだろう。だがそれらの、他者と関係する事に伴って常に生成される、自己の多彩な側面の切り口である「私」たち、とは別の、もしかしたらそれらの根底にあるのかも知れない「私」という自我も、やはり厳然として存在している。
ひょっとしたら、そういう生の「私」がひょっこり意識の表面にまで顔を出してきて、現実的な仕事に忙殺されている「私」を眺めていたのかもしれない。
ちなみに、以上のような考察は、これを書いている正にその瞬間に考え出している事なのだが、先に考えた時は以下のような具合であった。
新幹線を降りて在来線を待っている間、あの奇妙な感覚は何だったのかと考えていた。そこで何とはなしに浮かんだのは、「あ、ひょっとして俺は今、”学生”である事をやめたのかな…」という思いだった。学生と言うのは社会的身分であって、一瞬の感慨によってやめるもやめないもないだろう、と言われそうだが、勿論そういう意味ではなくて、意識の上での”学生気分”というものに別れを告げつつある、という意味である。たぶん。
なんと言うか、人が大人になる時というのは、自分と言う存在を、他者の視点で見る事が出来るようになった時ではないだろうか。そもそもは”赤ん坊にとっていつもは当たり前のようにミルクをくれる母親が、偶々忙しくて我が子の欲求を満たしてやれなかった時に、赤ん坊は自分と母親とは別の人間である、と言う事に気付く”のが、最初の一例である(元ネタ:「意識とはなにか―「私」を生成する脳 (ちくま新書)」より)。
上に挙げた、”学生気分の終わり”をふと思った瞬間で言うと、恐らく以下のような推測がなされる。 夜遅い東京行きの新幹線の座席で寝入ってしまい、寝起きに辺りを見回して目に入ってきたのは、乗り合わせた日本を支えるサラリーマンな方々である。その、すぐ近い将来自分が加わるであろう人たちの群れを見て、まどろみつつあった自分の意識の中に、突然その人たちの視点という”他者”が生まれた。自分と同じように、大学を卒業し一般企業に就職したのであろう人たちにとって、学生生活というのは色々な意味を持っているだろう。大部分の人にとっては懐かしい思い出なのではないだろうか。そういった視点、青春を振り返る中年、のような視点が自分の中に突如として現れ、奇妙な感慨をもたらした、と言うのが、今の所の解釈である。この他者の視点が生まれた瞬間、自分は最早それまでの自分では、幸か不幸かなくなってしまったのである。
”甘やかな青春というは、その時期を過ぎ去った人間の感慨であって、その最中にいる者にとっては苦痛でしかない。青春を振り返るというのは、既に青春の終わりを迎えた者にのみなし得る事である。”(出典及び正確性不明。高校時代の受験勉強で出会った昭和初期の読み物か?)という事である。

…なんか一気に老け込んでしまった気もするが、出典不明の同文章の中では、”いつまでも若いなどと言う事は恥ずべき事なのである”と、若人の成熟を鼓舞していたので、まぁよしとしよう。




[Friday Mar. 4, 2005] --- A.M.4時ちょっと前起床(自粛) ---

**  ありゃ…またもあっという間に週末である。うぅむ。。。
現在は海上保安庁の観測船”つしま”に載せて貰ったシンチレーションモニタの様子を見る為、東京は世田谷区の実家に滞在中である。
昨日はその”つしま”にお邪魔しに行ってきた訳だが、目的は、太平洋グァム近辺の航路上で取れたシンチレーションデータの引き上げ、及びGPSアンテナのより電波環境のよい場所への移設、であった。
アンテナ移設は、そもそもこの観測機で見たい現象(電波の乱れ)が周囲のノイズに埋もれてしまって見えない為に行われたのだが、様々なアンテナや複雑な構造体の林立する船の上で良好な電波環境を得ようとすれば、何とやらと煙と一緒に高い所に上らなければならない。結局、デッキにそびえるマストのような大きな塔になっている部分(これ、なんと呼ぶのが正式なのだろうか)の最上部に、アンテナを取り付けた。言葉で書くと一言ですむが、この作業が
えらく大変だった。。。

**  準備を怠って、データ引き上げの方は一旦PCごと持ち帰って一晩でコピーする事になった。問題は、観測機そのもので。。どうも、調子が悪い様である。GPS衛星の信号を捕捉出来なくなっており、アンテナがいかれてしまったのか、と疑われる。しかし、昨日の午前中の晴れ間とうって変わって、今日は雪。もう、雪。
作業どころか、外出すら億劫になってしまうのだが、まぁいくら故障中だからといってもシステムにPCが無いと格好がつかないので、再セットには行かねば。

     ↓

**  で、7年ぶりに3月に降ったという雪も午後からは止んで、しずしずと出かける。何となく足取りが重めだったのは、雪のせいばかりではない。少しは、というかかなり、観測機の方は諦めムードだったので、まぁ最期を看取ってやるか、という感じだったのだが。これが一発逆転ホームランというほどではないにしろ、結局今までの作業は全て上手く行く事になったのである。
まぁ、簡潔に言えば、観測機が蘇ったのだ。蘇ったと言う表現はあまり適切ではないが、全くそんな風に感じられた。データコピーのため持ち帰っていたノートPCをセットして観測システムを立ち上げると、昨日から今日への天気の移り変わりのように、うって変わって正常にGPS電波を捉え、信号強度データを記録し始めた
理由が全くもってさっぱりなのだが、推測するに、ソフト的なバグなり不具合なりが解消された可能性がある。他には、設置したアンテナが落ち着いた?可能性も。なんというか、一息入れるのは大事だよネ。
まぁともあれ無事アンテナ移設とシステム再起動を終えて、よしよし頑張れよ、とぢっと見つめてつしまを後にした。






[Saturday Mar. 5, 2005] --- A.M.5:00起床 ---

**  とりあえず、昨日の作業で今回の東京出張の主目的である、ScintillationMonitorのデータ引取り&アンテナ移設は完了した。もう一つのウラ目的として、4月からの東京社会人生活へ向けての家探しもあったりする。が、正直言って今の段階で家探しをする時間的・精神的余裕はない。別に出来ない事ではないし、新居を探すのはそれなりに面白いとも思うのだが、その場合、この日記を書き始めた正にその理由――論文書きその他――が完遂出来なくなってしまうのはほぼ間違いない。

なのでまぁ、学生最後のオシゴトを優先させる事にして、一ヶ月後に迫った新生活を、とりあえずは実家に一時滞在という形で始める事になりそうである。そもそも、実家が東京なのに何故就職に際して一人暮らし住居を探していたかと言えば(まだ実際には探してないが)、スペースがないのだ。圧倒的に。
元々は岡山で生まれ、北九州で学校生活を始め、北九州の中でも小学校の途中で一度引越して、大学入学と共に京都へ移住。その大学一回生の夏に実家は北九州から東京に移り、さらにその東京の中でも実家は一度引っ越している。この、全く意味の分からない程多数の移動によって、家にいない長男の生活スペースなどは、全体に占める割合としてはまるで電離圏中のプラズマ=電離気体の如きである。ちなみに地球電離圏における中性大気の電離度は0.1%以下、すなわち(質量あるいは体積にして)プラズマは中性大気の1000分の1も存在しないのだ。こんなに微小な量の電離気体が、圧倒的多数の中性大気と言わば同等に相互作用して様々な現象を引き起こすというのは、何と言うか、大したものである。さすが重力などより遥かに強い、電磁気力である。

話がずれたが、ともかく、自分の生活スペースが今の実家には全くと言っていいほど存在しないので、これを開拓し存在権を主張する事にする。これを以って、今回の上京の第二目的の家探しを、代替せんとする。本日の予定はそんな感じで。明日の飲み会までには上洛せにゃ。。






[Sunday Mar. 6, 2005] --- A.M.5:30起床 ---

**  心配された雪も新幹線の遅れも無い様なので、それなりに仮初の目的達成感を持ちつつ、午前中に東京を出発して京都に戻る。しかし早いもので(最近この事ばかり言っている気がする。しかしほんとに早い…)、この日記をつけ初めてからもう一ヶ月が経つ。中々、今の所2005年消費税分よりは過大な効果をもたらしているようではある。しめしめ。

**  で、京都に帰って夕方からは、サークルの先輩方が、一応卒業生祝いと言う事で大阪飲み会を開いてくださるのでそこに参加する。一応、というのは、社会人となっている先輩方がおっさんの旧交を暖める場ではなく一応進路の決まった後輩達の祝い、という意味である。終わってみれば結局、前者の意味合いが強い飲み会だったがまぁ、全く自分はそれで構わない。
飲み会の集合場所は梅田の紀伊国屋前だったのだが、何せ当方大阪の地理にはとんと疎い。歩き回るのもしんどいので駅員さんに尋ねる。曰く、”あの、ちょっとお聞きしますけど、紀伊国屋って、スーパーだか本屋さんだかはどこにあるんですか?”と。
勿論、駅にある紀伊国屋と言ったら、十中八九書店の方の紀伊国屋に決まっている。ちなみにご存知ない方の為に蛇足ながら補足しておくと、スーパーの方の紀伊国屋と言うのは、主に関東に存在する(?)高級スーパーマーケットである。各種輸入品や、100g千円とかするような牛肉が置いてたりする所である。ご近所のちょいと気取った主婦さんとかが、割とステータスっぽくKINOKUNIYAの買い物袋を下げていたりもする、中々アレなお店である。
まぁ、そういう背景を踏まえた微妙なイライラネタを、大阪のど真ん中(?)でしかけてみたのだが、普通に親切に教えて貰って、あっさり躱されてしまった。ぬぅぅ。。やるな、大阪。自分の仕掛けがイマイチだったか…次回への教訓としたい。

**  まぁ、そんなこんなで、という訳でもないが、飲み会での話のタネの一つに関西VS関東、というものがあった。ちなみに就職祝われ人の内訳は、関西一人、関東三人、というものであった。

個人的に、関西は大好きである。その文化、メンタリティは柔軟で面白くて、何と言うか日本人の強さを見る思いがするからだ。大学を京都に選んで、本当に心底良かったと思う。

一方で、もともと自分は東京と縁が深い。両親の実家とも東京であるし、自分の両親もまた現在は東京在住である。幼い頃は、帰省する事は田舎に帰ることではなく、一般的な帰省とは逆向きの移動をする事になり、だから世間の帰省ラッシュとかUターンラッシュとかは基本的にそ知らぬ顔でいる事ができた。まぁ、ここでも微妙にマイノリティである。なので、割と東京も嫌いではない。何と言うか、総体として見た場合、というか、東京という概念的な場所、を考えた際には(あるいは、世間的に流布されている東京のイメージを思い浮かべた場合は?)、非常に雑多、猥雑で人々の人情は薄く、自然環境も悪く、人の住むような所ではない、少なくともあんな場所が日本の中心だなんて意味ワカラン、という気分もないではない。
しかし同時に、幼い頃からの記憶――元来自分はばあちゃん子だった――は、東京という場所に対して、自分をして一種の郷愁を抱かしめる場所でもある。また、やはり日本の中心だけあって、色々なモノが集まってきているのだ。交通網は異常なくらい発達していて、便利さにおいて及ぶ都市は世界でも中々無いのではないだろうか。この、幼い頃からの仄かな郷愁と、圧倒的な便利さとが相まって、今の自分の東京への好意を、世間的な(関西的な?)東京への反発を凌駕せしてめているような気がする。

まぁ、そんな感じで、心は関西に、身は東京に、という事を主張してみたのだが、割と猛反発を喰らった。これ、つまりネタ的にアツイという事だろうか…若干ほくそえみながら、関西の方々のツッコミに対して粛々とボケ返してい(るつもりだっ)た。

気が付くと大分長くなってしまった。。。まぁ、非常に楽しい日曜日でした。






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