Leicester, UK, vol.1

準備編

まず現地でメールをチェックしたりできるように携帯性の高いノートパソコンを買った。
今回の滞在は45日という長いとも短いとも言えない期間なので、
あまりメールの設定などでてこずらないためのものである。
向こうの研究室でIPがもらえれば言うことないし、DHCPサーバくらいは利用させてもらえると思う。
買ったのはLet's NoteのB5ノート。
ナニワ電気の通販で10万円だった。片落ちしているものなので非常に安い。
一通り必要そうなソフトや自分の研究の図などもすべて入れていく。
次におかねの問題を考える。今までの海外旅行は長くて2週間ほどの
ものだったので、現金を持っていき、適宜両替していた。
しかし今回はそれは多少のリスクが伴うように思われたので、
現地でその国の通貨で引き出すことができるカードを作って持っていこうと
いう腹積もりであった。出発の10日前に第一勧業銀行百万遍支店に行き、
手続きをしようとするとカードの発行には10日程度かかると言われる。
今から発行していると出発に間に合わないから止めておけと言われる。
前に窓口で尋ねたときは1週間程度でできると言っていたのに。
少しなめていたことを反省する。手遅れである。
よって今回はトラベラーズチェックを使ってみることに決心する。
第一勧銀でこんどはポンド立てのT/Cを作ってくれというと
ポンドは作れないという。ドルかユーロだけだそうだ。そんな馬鹿な。
世界の大英帝国の通貨だぞ。用意できないというのか。
結局第一勧業銀行百万遍支店ではなにもできなかった。
そこで生協旅行センターに赴いて伊良部に似ている店員の人に方策を尋ねる。
(生協旅行センターには伊良部似の店員さんの他にもゲゲゲの鬼太郎のねずみ男や猫娘、
歌手の広瀬香美に似ている店員さんもいて自分は好きだがここでは詳細は述べない)
すると伊良部似の店員さんは「京都信用金庫にお行きなさい」と言う。
都市銀行に用意できないものが信金に用意できるのかと思ったが、
伊良部似の店員さんを信じて行ってみることにする。
信用金庫に赴くとすぐにポンド立てのT/Cを作ってくれた。
おまけに使い方の説明をしてくれ、ボールペンまでくれた。
さすが京都信用金庫、さすが世界の伊良部である。
これからは何もできない第一勧業銀行百万遍支店との取引
(たいした取引額ではないが)をやめて京信にしようかと思ったくらいだ。
とにもかくにもこれで、お金の問題は解決。
今度は国際学生証というものの作成にチャレンジする。
インターネットで必要な書類などをダウンロードし、
生協の旅行センターで申し込む(1400円くらい)と数日で作成してくれた。
申請時には写真と在学証明書が必要である。
アメリカに言ったときにIDを見せろとよく言われてIDは持っておいたほうが
よいことを痛感したのがこのカードをを作った理由である。
あとは電源周りの問題。オーストラリアでも
アメリカでも電気製品は使わなかったのでなんの対策もとらなかったが、
今度は少し長い滞在となりノートパソコンを持っていくので、
なんとかする必要がある。インターネットなどで調べた結果、
コンセントはBFタイプもしくはBタイプと言われるもので大丈夫らしい。
また、変圧器は家森先生がひとつ貸してくれた。
インターネットで調べるとイギリスの電圧は240Vらしい。
家森先生が貸してくれたものを見てみると
220Vから100Vに変換すると書いてある。家森先生がイギリスに行った時には
何の問題もなく使えたそうなのでおそらく大丈夫だとは思うが、
一応寺町の電気屋街でもうひとつ変圧器を購入しておく。なんと5500円もした。
同時にBFタイプのコンセントも2つ買う(950円)。店員さんによると、
変圧器はあまり酷使しないほうがよいらしい。壊れてしまうそうだ。
万一のために家森先生に借りたものを控え選手として持っていくことを決意する。
次は服装である。ロンドンに住んでいる友人に聞くと、イギリスはかなり雨が
降るようだ。ウインドブレーカーは必需品だと言われる。
それを聞くまではダウンジャケットを着ていこうと思っていたが、
雨がたくさん降るならばダウンはだめである。僕のダウンジャケットは
雨にぬれると水鳥のにおいが猛烈にする(欠陥商品とも考えられるが
これを買った店の店員に「本物のダウンはそういうものなんです」
と言われ納得してしまったという経緯がある)。
でもウインドブレーカーをいまさら買いなおすのは高いなあと思って、
四条藤井大丸のUnited Arrowsに行ってみるとバーゲンでウインドブレーカーが
半額以下で売っているではないか!! 24000円の商品を11000円で
買うことができた。しかもゴアテックスである。これで防水対策も万全だ。

13/01/2001 (Sat)

朝4時30分に起床。最終的に荷物を確認し、戸締りなども確認して、出発。
5時41分の206系統のバスに乗って京都駅へ。6時22分のはるかにのる。
この6時22分のはるかはどうやら滋賀あたりから出ているようで、
いつもの30番ホームではなく6番ホームからの出発であった。
7時47分に関西空港に到着。ルフトハンザのカウンターで搭乗手続きをする。
今回は一度フランクフルトまで行きそこで乗り換えてロンドンのヒースロー
空港まで行くことになっている。荷物はロンドンまで一気に運んでもらい、
ついでにフランクフルトからロンドンまでのの便の搭乗手続きもしてもらった。
フランクフルトでの乗り継ぎは多少時間が少なめなのでこれは非常にありがたい。
今回も関西空港の中の銀行で両替。朝早いので銀行が開いていなくて
両替できないことを懸念していたが全開だった。
三和銀行の窓口で4万円両替し、210ポンドを得る。レートは1ポンド=189円で
多少街の銀行よりも割高な気がした(たしか百万遍の勧銀では1ポンド=177円だった)。
やはり前もって両替をしておいたほうがよいのかもしれない。
手荷物検査、出国手続きはさくさく終わる。
朝からなにも食べていなかったのでカフェテリアのようなところで
トーストを食べアイスコーヒーを飲む。ここで初めてパソコンを外でいらってみる。
モデムとかはないのでスタンドアローンなのだが、
一見すると今はやりのモバイル野郎に見えなくもない。
悪い気分ではない。というか良い気分だ。
9時くらいに出発ゲート向かい、本などを読んで時間を潰す。
9時55分に搭乗開始。一応満員で、どの席も詰まっている。
乗客はドイツ人と日本人しかいないようだ。
周りでドイツ語が飛び交う。英語に対してはだいぶ慣れてきているが、
生のドイツ語を聞いたのは初めてかもしれない。
本当に「ダンケシェーン」とかいっている。
またルフトハンザの添乗員の印象はかなり良い。
男の人も女の人もかなり笑顔をふりまくタイプが多いようだ。
この前のUnitedがあまりに愛想がなかったので
余計に愛想が良いように感じてしまうのかもしれない。
離陸してからすぐに昼食がでる。ちなみに昼食のメニューもドイツ語で書いてある。
英語とのアナロジーで大体は理解することができるが、詳細は不明。
フライドチキンのバンバンジー和えというものを選ぶ。
いつものごとく電子レンジで暖めたような異常に熱い
Main Dishだが、味はなかなかおいしかった。
食後にはワインを頼む。かなりアルコール度数の高いワインだ。
コップいっぱいを飲み終えるのがやっとであった。
後でビールを頼めば良かったと後悔する。
ドイツの航空会社にのってビールを飲まないなんて、
博多にいって博多ラーメンを食べないようなもんだ。
帰りには絶対飲むことを誓う。食後に早速パソコンをいじってみる。
向こうでの研究用の図をとりあえずパソコンに全部放り込んできたのでそれを整理して
説明できる状態に仕上げる作業を少し行う。
しかし予想以上にバッテリーの消耗が激しい。10分ほどで5%は減っていると思う。
このデータから考えるとフル充電でも3時間くらいしかもたないことになる。
仕様書には4時間30分もつ高性能バッテリーとか書いてあったのにだまされた。
また省電力モードになってしまうので画面が暗く、目がすぐに疲れてしまう。
電源がないところではあんまり余計なことはできないということらしい。
今朝の起床が早かったので、かなり眠く、毛布をかぶるとすぐに寝てしまった。
起きたらオニギリとコーヒーが配られる。そのあとはジャッキーチェンの映画を見る。
なんとアリーマイラブにリン役で出ているルーシーリューが出ているではないか。
最近良く出ているな。チャーリーズエンジェルにも出ていたし。
内容のほうはドイツ語なのでさっぱりわからない。
ジャッキーがインディアンにふんしているようだが、
あんなにカンフーのうまいインディアンはいない。
その後も寝たり起きたりしているうちに夕食が配られる。
豚肉と大根の煮物と炊き込み御飯である。これで日本食とはしばしのお別れだ。
僕は欧米型の高カロリー高脂肪の食事が大好きなので
恐らくイギリスでも全く問題はないと思うのだが、
最後の日本食と思うともったいぶってゆっくり食べてしまう。
フランクフルトには現地時間の14時に到着。
ドイツとの時差は8時間だから11時間ほど飛行機に乗っていたことになる。
今回のフライトは適宜睡眠をとることができたので
(いらない映画を見ないことがポイントのようだ)いつもより幾分楽だ。
フランクフルト国際空港はドイツおよびヨーロッパのハブ空港で、
ルフトハンザの本拠地である。よって、多くの発着便が
ルフトハンザ、もしくはルフトハンザの乗り継ぎ用のものである。
フランクフルト空港はとても広い。やはりヨーロッパのハブ空港
だけはある。関西空港はアジアのハブ空港を目指しているが、
やはりフランクフルトと比べると手狭であることは否めないなどと思う。
2時間程待ち時間があるので空港内のカフェに入ってみる。
注文をするときにマルクを持っていないことに気づく、
とっさにAGUの時の残りのドルを出すと通用した。やはりドルは国際通貨だ。
カフェでもパソコンを取り出して日記なんぞを書いている。
パソコンを持ち歩いているのが相当うれしいらしい。お馬鹿さんである。
ドイツ時間16時5分にヒースロー行きの飛行機が離陸。
フライトアテンダントが可愛い。長距離国際線は結構おばちゃんとかおっちゃんが
多いが時間が短いと若くてきれいな人が多いのだろうか。
アメリカの国内線もかなりかわいかったので、
飛行距離とスチュワーデスの可愛さの間には逆相関があるのではないだろうか。
機内でイギリス入国申請用紙が配られる。
地球の歩き方を見ながら記入し、論文などを読んで時間をつぶす。
この飛行機は進路を頻繁に変えて本当にイギリスに向かっているのか
どうか判然としない。窓から太陽を見て飛行方向をイメージしてみるが
どうしても北に向かって飛んでいるようにしか思えない。
しかし何故か1時間40分後にはヒースロー空港に到着。
ヒースロー空港は建物自体がだいぶ古く、少し前の羽田や伊丹の空港に
似た感じである。入国審査はレスター大学に発行してもらった
証明書を見せていろいろ質問を受けるが(「お前は京都大学の職員か?」
「違う、大学院生だ」といったような)結局は通してくれた。
荷物の受け取りではまた一番最後に出てくる。アラスカでロストバゲージ
して以来荷物が出てこないのではないかという恐怖が常に付きまとう。
リュックサックなのでどうやらなめられて、最後に積み込まれるのかもしれない。
今度からは立派なスーツケースにしたほうがいいような気がする。
ヒースローからロンドン市内に入るのには地下鉄ピカデリー線を使う。
St. Pancrasという駅までで3ポンド60ペニーである。
所要時間は50分というところ。イギリスの地下鉄はやけに速い
(単純に速度が)。ゆえによくゆれるような気がする。
乗り物酔いをする人は大変なのではないだろうか。
St. Pancras駅からレスターまでは特急電車で1時間20分というところ。
速いのはいいが、非常に高い。なんと30ポンドもした。
毎週週末にはロンドンで豪遊しようと思っていたがこんなに高いのでは無理だ。
レスターには20時20分に到着。非常に寒い。
暗いのでどんな規模の街かは全くわからない。
レスターの秘書さんがBurlington Hotelというホテルを予約して
くれているのだが場所が全くわからないのでタクシーで向かう。
チェックインするとレスターの秘書さんからのメッセージが届いていた。
月曜日に研究室に直接来いとのこと。部屋は日本のビジネスホテルよりも
少し広い程度。24時間にも及ぶ移動の疲れがあったが、風呂に入って
変圧器を通してパソコンが使えるかどうかをチェックする。
まずデジタルカメラの充電器で下調べをしてからパソコンを繋ぐ。
どうやら問題なく電圧の変換はできているようだ。
これでひと安心。安心したら猛烈な睡魔が襲ってきたので10時過ぎに就寝。

14/01/2001 (Sun)

9時起床。やはり旅の疲れがあって眠い。
9時過ぎに食事に降りていく。英国式のブレイクファーストのようだ。
脂ぎったベーコンとソーセージ、卵などが皿に盛られている。
自分ははっきりいってこのような食事は好きだ。ジャンクフードが好きなのだ。
しかしこれがずっとつづくと漬物や味噌汁が欲しくなるのかもしれない。
食後は昼前まで部屋でゆっくり荷物の整理などを行なう。
このホテルに滞在するのは明日の朝までで、その後は大学に付属した
宿泊施設に移動するのでなるだけ荷物を解体しないようにする。
またパッキングするのは至難の技なので。今日は日曜日のため大学は開いていない。
よって今日はレスター市内をぶらぶらして時間を潰すことになる。
ホテルを出ると猛烈に寒い。防寒対策もそれなりにはしてきたが
もう一段階レベルを上げる必要を感じる。また霧が濃く、視界がとても悪い。
これがイギリスの天気というやつなのだろう。
レスターは小さくもなければ大きくもないという中途半端な規模の街だ。
関西でいうと高槻、首都圏ならば川崎のような感じだと思う。
人口は学生が15パーセントを占めているそうだから、
大学を中心に産業なども成り立っているのかもしれない。
中心部のショッピングモールのようなところを歩いてみる。
本屋はかなり本が少ない。特に小説のようなものがあまりないような
気がした。そのかわりサッカーやラグビーの本は山のようにある。
マンチェスターユナイテッドの公式ガイド本のようなものや、
ロイキーンの自伝なども売られている。
特にマンUのガイド本は、値段は3ポンド程であるがかなりきれいな装丁である。
ライアンギグスが表紙である。是非とも買って帰りたい本だ。
ちなみにこのレスターの街もプレミアリーグのチームを持っている。
名前はLeicester Cityである。去年は20チーム中10位。チームの強さも中庸である。
次にHMVがあったので入ってみる。British Rockの国なので
それなりに品揃えは良い。早速Stereolabの新譜などを買ってしまう。
アルバムは12ポンド。2000円くらいである。次に通りにある靴屋に一通り入ってみる。
特筆すべきはクラークス直営らしき店があったこと。
しかも今はどうやらセール中のようでやすいものは20ポンドくらいで
売っている。値引きがないものでも日本よりも3割から4割は安いようだ。
この店には何度か通っていいものを仕入れたいなどと思う。
またフットロッカーがあり、addidasのかっこいいスニーカーを発見。
これもいずれは買いたい。一通りウィンドウショッピングを終え、
ショッピングモールのカフェで昼食を取る。サンドイッチ、マフィン、コーヒーで4ポンド55ペンス。
イギリスの外食は高いのかもしれない。
節約していかないとお金が足りなくなるので気をつけたい。
中心部を離れて大学周辺を歩いてみる。カセドラルと思われる建物がある。
霧が濃かったので光が少ないがデジタルカメラのテストを兼ねて撮ってみる。
イギリスの大学はCollegeとUniversityの2重構造になっているそうだ。
学生はそのどちらにも所属しているらしい。
ここらへんはどんな本を読んでもそのコンセプトが理解できない。
確かにCollegeと書かれた建物がいたるところにある。
そしてその真中あたりにUniversityがあった。日曜日だが門は開いていて中に入ることができた。
自分がお世話になるPhysics and Astronomyの建物はすぐに見つかったが、
日曜日ということで玄関はしまっておりひっそりとしている。
大学の隣はビクトリアパークという広い芝生が広がっており
(入り口には大きな門がある)めいめいが勝手にサッカー、ラグビーなどをやっている。
今度もしレスターに来ることがあれば、マイボールとマイスパイクは必須である。
体が芯から冷えてきたので15時頃ホテルにひきあげる。
この街は大学以外に観光施設がないので時間を潰すのにも限界があるようだ。
夕食はホテルから歩いて10分くらいのところにあるインド料理店で食べる。
日曜日はほとんどの飲食店がしまっているようで、ここしか開いてなかった。
カレーを数種類選んでライスとナンがついているというメニューを注文する。
カレーはそれ程辛くはなかったが、量が多くてナンがどうしても食べきれなかった。
包んで持って帰れるかとたずねたらこころよく包んでくれた。
ホテルに戻り荷物のパッキングをする。明日からはビジター用の宿泊施設に
移るので荷物を持って行かなければならない。荷物を作り終えて10時頃に就寝。

15/01/2001 (Mon)

今日からいよいよレスター大学に行くことになる。
昨日と同じ朝食を取り、8時40分頃にチェックアウトをする。
ここではポンドを節約するためにカードで支払いをする。2泊分の宿泊と税金で70ポンドであった。
9時にレスター大学のMark Lester教授が迎えに来てくれて、大学に向かう。
彼は今日からオックスフォードに出張だそうで、しきりに「すまない」と言う。
オックスフォードでクラスターに関する会議があるそうだ。
SuperDARNでもクラスターの動きに対応したモードで特別観測を頻繁に
行っているようなのでその関係の話なのだろう。
Space Physicsの建物に到着し、いろいろな部屋に案内され、
いろいろな人を紹介してもらう。当然一度には覚えきれない。
Space Physics部門のボスであるStan Cowley教授に会わせてもらう。
家田さんによると「イギリスの西田先生」ということだが、
かなり気さくな印象。別に西田先生が気さくでないということではないが。
院生やポスドク、教授やエンジニアなどいろいろな人がいる。
研究しているテーマもSuperDARN、EISCAT、
地上磁場、クラスター、ポーラー、カッシーニなどさまざまである。
また院生の部屋にデスクをもらうことができた。相当広く端末もある。
一通り紹介が終わり、コンピュータルームに案内される。
SGIのおおきなサーバーが一台あり、端末が20台くらいある。計算機環境は非常に充実している。
これで各自の机の上にも液晶Displayの端末がおかれている。完全に人よりコンピュータが多い。
持参したノートパソコンを繋げるようにIPをもらえないか聞いてみる。
すぐに発行してくれた。テストしてみるとちゃんと京都大学に入ることができた。
これでメール関係の心配をしなくて済む。
また帰国の1週間前の金曜日(2月17日)にセミナーで話をすることになった。
ここでLester教授はオックスフォードへの出張に向かう。
ここからは自分の実質上の指導教官であるSteve Milan博士に世話をしてもらう。
彼と会うのはもう5回目くらいで、論文を見てもらったり、
研究の話を聞いてもらったりしているので気安くいろいろ聞くことができる。
午前中はレスターで使われているSuperDARNのデータ解析ソフトの使い方の
あらましを教わる。この解析ソフトはSteveが独力で作り上げたもので、
使っている人間の評判はきわめて良い。名前を「Go」という。
ほとんどの研究者はAPLが作成したplot_radarというソフトを使っているが、
GUIであるためなれてくると使い勝手の悪さを感じるようになる。
自分はplot_radarがどうも好きに慣れなかったので
自前で解析ソフトを作り上げたが「Go」にはかなわないような気がする。
「Go」の基本は、コマンドラインでどんどん命令を実行していき
最終的な形をつくるというものである。calcompに非常に近いが、
できる事の数が非常に多い。またSGIであるため描画が非常に速い。
IDLベースであるために移植も簡単だと思われる。
「Go」の使い方のあらましを教わった後で、Steveが昼食に連れていってくれる。
食事は専用の建物がありカフェからレストランまでいろいろな選択肢がある。
5階にある軽食が食べられるところでサンドイッチとカプチーノを頼む。
ここでレスター市に関する基本的な情報を得ることができる。
人口は25万人。イギリスで7番目の都市だそうだ。
Leicester Cityは今年度のプレミアリーグで現在6位。
プレミアリーグ一部は全部で20チームで構成されているので、
Steve曰く「よくやってるほう」なんだそうだ。
Mark Lester教授は熱狂的なファンで毎週土曜日のホームの試合は
見に行っているそう。またラグビーのチームはイギリスで一番強いそうだ。
Leicester Tigerという名前。こちらはTim Yeomanという教授が熱狂的な
ファンで毎回見にいっているそう。このTim Yeomanは小阪君が一度雑誌会で
論文を取り上げた人ので名前だけは知っていた。実際見てみると非常に若い人だった。
午後も「Go」のチュートリアルをしてもらう。一度には覚えきれないので
またSteveにごちゃごちゃと聞くことになりそう。
2時過ぎにSteveが車でビジター用の宿泊施設に連れていってくれる。
College Hallというところだ。部屋はシンプルだが暖かいし清潔だ。申し分ない。
荷物を置いて再び大学まで戻る。途中でSteveの自宅に案内される。
彼は同僚のGabby Proban博士と結婚しており、息子のFelixとともに
一軒家に住んでいる。Gabbyはクラスターの会議に行っているので不在。
大学にもどり研究の話などをし、5時前に大学をでる。
ここでは仕事の時間はかなりきちんときまっており、5時30分には
みんな帰ってしまうようだ。9時−5時が徹底されている。
6時前に宿舎に着き、6時からの夕食に行く。順番にならんで
メニューをもらうという形式。7時には宿舎に戻りシャワーを浴びて部屋にもどる。
京都では大学で10時頃まで仕事をして家に帰るという生活形態なので、
ここでは夜の時間をもてあましてしまう(部屋にも建物にもテレビはない)。
本や英語のテキストなどを持ってきたのでそこらへんで時間を潰すことになると思う。
論文を読んだり英語のテキストに付属しているCDを聞いていたら
時差ぼけなのか10時頃には眠くなってしまう。逆らわずに10時過ぎに就寝。

16/01/2001 (Tue)

7時起床。支度をして8時からの食事に向かう。
朝食の内容はやはりブリティッシュスタイルのものである。
ソーセージと半熟の目玉焼き、フレッシュジュースとコーヒーまたは紅茶である。
繰り返しになるが、このスタイルの食事が好きだ。ジャンクフードが好きでよかったと思う。
オレンジジュースとコーヒーのおかわりなぞをしていたら
8時30分になってしまったので急いで大学に向かう。今日から大学付属の宿泊施設からの出勤となる。
外にでると相当寒い。芝が凍って白くなっている。大学までは一本道であるが、距離はかなりある。
昨日歩いたときはもうだいぶ暗かったのでわからなかったが
道沿いの建物はどれも古い。レンガ作りの建物である。
今さらながらイギリスに来ているということを自覚する。9時過ぎに大学に到着し、
いただいた机で京都に繋ぎメールなどをチェックする。
京都では、修士論文の締め切りまであと5日となっており、
その関連の話題でもりあがっているようだ。
イギリスに来れたことは非常に幸運であるし、うれしいことだが、
修士論文まじかの修士2回生のあわてぶりが見られないのは残念だ。
メールをチェックし終えたところで、エンジニアの人が来て、
計算機のアカウントをくれる。またもらった机の上のWindows NTマシンの
設定もしてくれて、いよいよ研究をする態勢が整ってきた。
こちらでの仕事のアイデアは幾つか準備してきたが、
そのどれから手を着けるべきかまだ判然としない。
まずきちんとやりたいのはカスプ域のスペクトル幅の広いエコーに関する統計の南北比較である。
昭和基地のレーダーでの結果をまとめつつあるので、
磁気共役の位置にあるレスターのフィンランドレーダーとの比較を
加えて論文にならないものかと思っている。
このテーマはSteveと相談しながら進めて行く事になると思う。
今日はSteveは息子のFelixの世話のためお休みなのでこれはとりあえず置いておく。
2番目のテーマとして、修士でやっていたSubauroral領域のFAIに関する統計結果
および提案したモデルの正当性をEISCATとSuperDARNの同時観測で確認するという
ものがある。このテーマは名古屋大学STE研の杉野さんの多大な御尽力のお陰で
だいぶ形になりつつあるが、まだ最終的な解釈をビルドアップする必要を感じている。
レスターにEISCATでFrictional HeatingをやっているJacky Davisという人がいる
のでいろいろ聞きたいと思っていた。なんとJackyは同じ部屋のとなりの席にいた。
彼女はSuperDARNとEISCATの同時観測データの比較などもやっているので
アドバイスを受けるには好都合である。早速自分の統計および同時観測のデータを
見せて意見を聞く。自分はEISCATで観測されている密度減少が中緯度トラフの
エッジを見ていると解釈しており、その密度勾配によってFAIが激しく
生成されているという結論に持っていきたいと思っている。
ひとつ心配であったのは、電場がかなり強いということである。
電場が強いといわゆるFrictional Heatingというものが起こって密度が
減少してしまうのである。EISCATの観測がこの効果を見ているのであれば
トラフのエッジを見ているという解釈をすることはできない。
その部分について重点的に意見を聞く。Jackyによると
かなりの確率でFrictional Heatingが起こっているように見えるそうだ。
確かに彼女の論文にのっているFrictional Heating
のサンプルとかなり似たsignatureではある。
しかし、Frictional Heatingはトラフ生成原因のひとつの有力な説であり、
Frictional Heatingが起こっているということは
トラフのエッジを見ているという可能性を否定するものではなく、
むしろ肯定することになるのではないかということであった。
まずはEISCATで観測されたイオン温度とドリフトをFrictional Heating
の基礎方程式に代入してみたらどうかという具体的なアドバイスをもらう。
彼女がPhDの時にやったFrictional Heatingの論文のリプリントや
参考になりそうな論文を幾つかもらう。いっぱいありすぎてこれは大変である。
3番目にやりたいこととして、SuperDARNの地面反射波に見える重力波の
南半球での観測データの解析というものがある。
北半球のレーダーでは重力波はほとんど毎日見えるものである。
しかし、南半球では南極が氷で覆われているため、地面からの反射がほとんど
なく、今まで重力波の観測は無理だろうと考えられていた。
しかし、実際に昭和のレーダーのデータをチェックしてみると
20ヶ月くらいの間に16個ほどのそれらしきイベントを同定することができた。
今回の滞在中にレスターの重力波研究グループにその結果を鑑定してもらえないか
ということを考えていた。午後にArnoldというSuperDARNを用いた重力波の解析を
やっている人に時間をもらって話を聞いてもらう。
昭和で見えている縞縞はやはり重力波であるだろうとのこと。
但し、北半球で見えているようなクリアなものではなく、
尻尾のような部分だけが見えているのではないかということだった。
その原因の一つはやはり南極大陸の地面の問題で、
もうひとつはオペレーションの周波数の問題と考えられるようだ。
レスターのレーダーで重力波を見るときはだいたい9MHzくらいの周波数を
使うとよい観測ができるそうなのだが、昭和では大体が12MHzで観測しているので
尻尾の部分しか見えないのである。しかし、南北両半球で同時に
重力波をとらえることができれば面白いことになるんではないかということだった。
彼は昭和とレスターで同時に重力波専用の9MHzのモードで特別観測しようなどと
言うが、地面からの反射を積極的に得ようとするようなモードを
佐藤先生が許してくれるはずがない。そんなお馬鹿なモードが走っているうちに
きれいなsouthward turningなんかがあろうもんなら死んでも死にきれないだろう。
特別観測は無理にしても今回プロットしてきた昭和のデータと
レスターのフィンランドレーダーのデータを比較することは簡単にできる。
サマリープロットを見せてもらうと幾らか同時に重力波を見ている日が
ありそうである。このテーマに関しては同時観測イベントを抽出し、
周期や伝播方向、速度などを整理する必要がありそうだ。
そんなこんなで今日も5時になり帰宅の準備をすることになる。
宿泊施設の夕食が6時なので(遅れると飯の食いっぱぐれになってしまう)、
5時30分には大学を出ないといけない。大急ぎである。
帰りも大学の裏門から出て、ビクトリアパークを横切って
古い街並を通って帰る。帰りに雑貨屋でコップとインスタントコーヒーを買う。
短い期間とはいえ、コップと飲み物は必要だ。
宿舎に帰り、夕食を食べ、シャワーを浴びてキッチンでコーヒーを
入れてみる。ミルクを買うのを忘れたことに気づく。明日買わなければ。
パソコンに大量に入れてきたmp3を聴きながら日記をつける。
ベッドに寝転がって本を読んでいたらうたた寝をしてしまったので、12時前にきちんと寝る。

17/01/2001 (Wed)

7時30分起床。8時からの朝食に行く。
昨日はフレッシュジュースを3杯取っても大丈夫だったのに、
今日同じ事をしたら「一杯だけにしてくれ」と言われる。そのかわりコーヒーを2杯飲んで出かける。
9時前に大学に到着。到着してすぐに京都に繋いでメールのチェックをする。
こちらにいてもなんやらかんやらで京都には常にログインしている。
しばらくはプログラムなどを全部引っ張ってこなければならないので一日中繋ぐことになると思う。
午前中はこちらのSuperDARN解析プログラムの使い方を泥縄式で習得する。
使い方はいたって簡単であるが、細かいところでいくつか不明な点があるので
後日Steveに聞く必要がある。試しに幾つかのプロットを作ってみる。
データは昭和レーダーのデータを京都からftpで引っ張ってきた。
同時に、EISCATのプロットプログラムも京都から引っ張ってきて
同じようにプロットできることを確認する。昼食は食堂のカフェへ。
今日はMark Lester教授もオックスフォードから帰ってきている。
「宿舎の具合はどうだ」とかいろいろ気を使って聞いてくれる。
「食事が多い」というようなことを答えると、
「日本に帰るまでに体重が2倍になってしまうな」とおっしゃる。
その通り、高カロリーの食事の食べ過ぎには気をつけなければ。
でも6週間の滞在で2倍にはならないと思う。
いくらなんでも1週間あたり10キロも太ることはできない。
また、Lester教授にプレミアリーグの観戦について聞いてみる。
彼は二人分のシーズンチケットを持っているそうで、
それを使って見にいこうと言ってくれる。ただし、来週はアーセナルとの試合で、
息子が試合を見るためにレスターに帰ってくるのでだめだそうだ。
その次のチェルシーとの試合にしようということになった。
その後もサッカーの話をだらだらとする。イギリスのワールドカップヨーロッパ地区予選の話になる。
イギリスの代表監督がセリエAのLazioの監督だったエリクソンになったので、
Lester教授曰く「もう大丈夫」なんだそうだ。ほんまかいな。
セリエAの話になったところで、中田の話になる。
オーストラリアに行ったときも中田のことはみんなが知っていたが、
やはりイギリスのサッカー通はそこらへんもきちんと押さえている。
衛星放送でセリエAの試合を見ているそうで、プレースタイルについてもかなりの知識があった。
なんと、ガンバ大阪の宮本がプレミアリーグに来るということまで知っていた。
ポジションがDFであるということまで。「どんな選手か」と聞かれたので、
「頭が良く、英語が上手だが、いかんせんスピードとスキルに乏しい」と答える。
すまんね宮本。でも本当のことだから。
ちなみにLester教授は映画「レオン」で有名なジャンレノにそっくりである。
午後も解析ソフトの使い方の習得に時間を費やすが、
途中で、Emmaという院生と研究に関するdiscussionをする。
彼女は、レスターのフィンランドレーダーが夜側で観測するスペクトル幅の広いエコーの解析をしている。
自分は昭和のレーダーが昼間側で観測する同じようなエコーの特性を
調べているので、非常に関連が深い。
彼女の結果もまだまだクリアなものになっていないという印象。
自分のほうもなかなかまとまってこないので状況は全く同じである。
南北比較みたいなことができればいいねといったようなことを話す。
来週の月曜日の午後にLester教授も含めて3人で今後の展開などについて
話をすることになった。それまでに自分の今までの結果をまとめる必要がでてきた。
特に夜側についてはまだ手をつけていないので簡単にプロットだけでもしておきたいところである。
この研究室の若手は3時に食堂のカフェでブレイクをするらしく、
今日から参加させてもらう。若手といっても半分はポスドクである。
Steveがやはり若手のなかではリーダー的な存在のようだ。
京都の研究室の斎藤さんと非常に似ている。
違うのは、Steveの耳には右に3つ、左に2つのピアスがついていて、
斎藤さんの耳には余計なものはついていないということだけである。
しかし、雑談の時のネイティブの英語はほとんどわからない。
話題がなにかさえもはっきりとはわからない。
彼らは僕に対してはゆっくり気を使って話してくれるので、
なんとか理解できるが、3人以上の集団になるともうだめである。
いくら英語をトレーニングしてもこういった会話を聞き取るのは不可能かもしれないなと思う。
3時のブレイクの後もプログラムの練習を続ける。
いくつかSteveに確認することはあるが、ほとんどの機能を使えるようになった。
気づくと6時前になっており、急いで帰り支度。
6時までに夕食に行かないと食いっぱぐれてしまう。
すっかり暗くなった帰り道を急いで歩く。途中でミルクとジュースを買う。
食事にはなんとか間に合った。今日のメニューはラムカレーである。
まずまずおいしい。デザートが甘すぎてさすがに残してしまう。
夕食後はシャワーに入り、今日の整理をして、日記をつける。
日記がこんなに長くなってしまうのは、夜の時間にすることがないからだ。
外は恐ろしく寒いのでだれもいない。みんな部屋でこそこそと何かやっている。
それと、昼間に英語でのコミュニケーションに苦労しているので、
夜はパソコン相手に日本語が使いたくなるのかもしれない。
時差ぼけもだいぶ直ってきて、12時まで起きていることができた。
12時過ぎに就寝

18/01/2001 (Thu)

7時30分起床。いつもの通り朝食に向かう。
朝食の席で、昨日キッチンで話をしたスペイン人が向かいに座ってくる。
彼は英語の勉強のためにレスターに来ているそうだ。名前はミッティという。
スペインではソニーに勤めているそうだ。
イギリスに来て、始めて自分より英語ができない人に出会った。
しかし、不思議なもんでなんとかコミュニケーションはできる。
まあ身振り手振りがあってのことだけれど。彼のほかにもスペインから来ている人がたくさんいて、
わらわらと集まってくる。その他の人はミッティほど英語ができない訳ではない。
彼らと話しこんだお陰で大学へ向かうのが少し遅くなる。
9時過ぎに到着。京都に繋いでメールなどをチェックし、仕事を始める。
来週の頭にLester教授と今後の計画について話をする予定なので、
その準備をしなければならない。京都から統計結果のデータファイルを
引っ張ってきてプロットしてみる。同じ結果が得られてひと安心。
昼食はLester教授がカフェテリアに連れていってくれる。
もうだいぶ慣れたのでそこまで気をつかわなくてもいいのにと思うが、
御好意に甘えてついていく。基本的にイギリスでも昼食は軽く
済ませる傾向にあるようだ。きちんとした一汁一菜の形式ではない。
午後はカスプ域のエコーに関する統計のまとめを続ける。
2時前に京都の大紀からtalkがあり、修士論文の話をする。
セミナーの前に大紀からリクエストのあったプロットを京都に送りセミナーに出る。
セミナーではやはり教授陣とSteveの発言が多い。学生がおとなしいのは日本と同じ。
特にStan Cowleyの発言はなかなか説得力があるように思えてしまう。
4時前にセミナーが終わり、大紀にたのまれたプロットの続きを行う。
なんとかプロットを終え、京都にftpで送る。
これらの図が修士論文の役に立てばよいと思うがどうだろうか。
その後は統計のまとめにもどり、ある程度のメドをつけるに至った。
明日に最終的にまとめをすればなんとかdiscussionの材料はできると思う。
今日はLester教授が食事に連れていってくれる。よって宿舎の夕食はパスである。
まずは食事の前にパブに向かう。生まれて始めてイギリスのパブに入ったことになる。
カウンターでビールを買い、おのおののスタイルで飲む。
立っている人もいるし座っている人もいる。
我々がパブに着くと、すでにSteveとYeoman教授らが飲んでおり、そこに加わる。
ビールの種類にはラガーとビターというのがある。これは本などにも書いてあることだが、
ラガーは我々が日本で飲んでいるような冷たいビール。
ビターは冷やされていないものである。黒ビールのぬるいものと思えばいい。
Steveたち若い人はラガーを飲み、Lester教授ら年配の人はビターを飲んでいる。
自分も一杯目はビターを飲んだがそれ以降はラガーに切り替えた。
7時過ぎにパブをでてインド料理店に行く。
レスターだけではないのだろうが、イギリスにはインド料理店が多いそうだ。
これはかつてイギリスがインドを植民地にしていたという歴史から
来ているものなのであろう。街行く人々のなかにもインド系の人はたくさんいる。
チキンカレーとライスを注文し、またビールを2杯飲む。
カレーもおいしくビールもなかなかいける。
インド料理店を出て、再びパブへ向かう。街中にパブがあり、
どこに入っても同じフォーマットなので行きやすいのかもしれない。
ギネスビールを飲んでみる。ほとんど泥のようなビールである。
おいしいというよりも苦い。コーヒーみたいだ。
ギネスビールはアイルランドのダブリンで生まれたビールだそうである。
このパブにはジュークボックスがあって、ブリティッシュロックがかかっている。
かかる曲すべてが、少し古めの(自分が学部のころに聞いていた)ものである。
Stone RosesとかOcean Color SceneとかProdigyとかU2とかである。
レスターの人はみんな音楽好きで、音楽の話が中心になる。
特にSteveはブリティッシュロックのFuckin' Freakで話があう。
「UKでBestなバンドはなんだ」と聞かれて、「Stone Rosesが一番好きだ」と
答えると彼はマンチェスター出身なので喜んでくれた。
Lester教授もロックが好きらしく、キースリチャ−ズの話などをする。
この間も際限なくビールを飲み、結局6パイントのビールを飲んだ。
生中6杯ということになる。11時前にパブをでると雪が降っていて猛烈に寒い。
SteveとYeomanと歩いて帰る。11時30分に宿舎に着き、ざっと日記を書いてすぐに就寝。

19/01/2001 (Fri)

昨日遅くまで飲んでいたせいで、起きてすぐには食欲がない。
よって宿舎の朝食はパス。飲んだ次の日にあのこってりした朝食を
食べることは不可能である。8時過ぎに宿舎を出て、大学に向かう。
この道を通うもの今日で4日目。距離感がだいぶつかめてきた。
だいたい25分くらいで大学に着く。大学についてメールなどをチェック。
こちらでもメールアドレスをもらっているのだが、
メールリーダーが当然英語のソフトであるために日本語が読めない。
よって京都に来たメールを転送することは特に行っていない。
しかし、京都までは物理的に距離が遠いためネットワークのレスポンスが
非常に遅く、必要最低限のメールだけしか書けない。これはしょうがないことである。
大紀から修士論文に関する質問のメールが来ていたのでそれに返答する。
メールを書くのが非常に大変なためどうしても返答が十分でなくなってしまう。
京都にいるうちにもっといっしょに考える時間を持てば良かったと少し後悔する。
そのかわり考察をするには十分なプロットは京都に送ったつもりである。
日刊スポーツのWebをチェックするとパープルサンガのMF遠藤の
ガンバ大阪への移籍が決定したそうである。J1でプレーし続けなければ
ならない選手ではあるが、サンガファンとしては少し寂しい。
いっそのこと海外にでも移籍してくれればまだ気分的にはましだ。
今日も統計のまとめの作業を続ける。今までは特にIMFのBy成分と
カスプ域で得られたエコーの相関を解析してきたが、
これに加えて、極全域で得られたエコーの性質がIMFのBz、By成分に
どのように関連しているかをまとめてみる。
特に夜側オーロラ帯で得られたエコーを重点的に見てみるが
これといった変化はないようである。昼間側ではかなりダイレクトな相関があるので、
やっぱり昼間側と夜側はだいぶ違うんだなということを再確認する。
同部屋のJacky Davisはへヴィメタルのファンらしく、ヘッドホンでずっとメタルを聞いている。
彼女の瞼にはぶっといピアスが刺さっていて外見は割といかつい姉ちゃんである。
これでEISCATの解析のエキスパートというのだから人は見かけで判断してはならない。
自分もへヴィメタルに対抗してノートパソコンに入れてきた
MP3でスピッツを聞きながら仕事をする。へヴィメタルに対抗するには
あまりにも軟弱な音楽である。外見も軟弱なら聞いている音楽も軟弱なのである。
午前中のうちに大学の銀行でトラベラーズチェックを換金する。
関空で両替したポンドがだいぶ減ってきていたので週末に銀行が
しまってしまうことを見越して換金しておくことにした。
初めてトラベラーズチェックを使うが、これほど面倒くさいとは思わなかった。
話で聞いていた以上である。いちいち全部に日付とサインをしなければならない
のはもちろんのこと向こう側の処理もかなり面倒くさそう。かなりの時間がかかる。
おまけに手数料を5ポンドも取られた。今度からは絶対カードにしようと思う。
ともあれ、400ポンドを換金したので、当面はこれで暮らしていけると思う。
昼食は大学のStudent Unionで買い食い。Student Unionは大学生協みたいなもんだと
思う。午後はJGRに投稿した論文をプリントアウトしてLester教授に持っていく。
データ使用の許可をもらった時にmanuscriptを送ってくれと言われていたのだが、
送るのが面倒くさくて、渡すのをここまでのびのびにしていたものだ。
去年の12月の頭にJGRに投稿したので、今頃世界のどこかで
2人の査読者がこの論文を読んで、あら捜しをしていることだろう。
一度rejectを食らっているのでもうなにも怖いものはないと言いたいところだが、
実際はかなり心配である。今度はなんとか通ってくれることを切に祈っている。
今思えば、rejectされたversionは論旨も通っていなかったし英語も酷かった。
何故か自信だけがあったのはなんど考えても不思議である。
今回は論旨も明確にしたし、何よりSteveとAPLのMike Ruohoniemiの
二人に英語を見てもらったので相当改善されていると思う。
でも前回と違って自信はない。不安があるだけだ。
面白いテーマだし、悪い論文ではないと思うんだけどなあ。
ともあれLester教授には査読の結果やステイタスなどを逐一教えるようにと言われる。
3時にはいつものようにコーヒーブレイクに向かう。
ポスドク、院生はみんなカフェテリアに集まってくる。
ここで自分はいつもホットチョコレートを飲んでいる。要はココアである。
フェアバンクスでオーロラを見ているとき、休憩所であるスキーロッジで
飲んで以来熱狂的なファンになってしまった。甘くておいしい。カロリーも凄い。
ブレイクの時にSteveが週末に家に遊びに来ないかと誘ってくれる。
電話番号を聞いて、土日のどちらかに電話してから伺うことを約束する。
Steveの嫁のGabbyとは去年の夏彼らがNIPRに滞在し、
京都を訪れた時に会って以来ということになる。
当時生後5ヶ月だった息子のFelixもだいぶ大きくなっていることだろう。
5時30分の帰宅リミットまで最後のスパートをかけて仕事をする。
統計結果のまとめのプロット大量にプリントアウト。
こちらのカラープリンタは上質の紙を使っているので発色が良い。
サイエンスの内容よりもプロットの美しさを重視するビジュアル系研究者にとっては
夢のようなプリンタである。ついついいっぱいプリントアウトしてしまう。
夢心地でプリントアウトしているとなんと6時前になってしまった。
急いで大学を出て、ダッシュで帰る。なんとか6時10分くらいに宿舎に着き、
食事にありつくことができた。この日のメニューはひき肉のパイ包みである。
見てくれは非常に美味しそうで早速食べてみたのだが、
割ってみるとひき肉というよりは腐葉土のような具が出てきた。
まずかったが、パイ生地に目がないのでなんとか全部食べることができた。
カブトムシの幼虫は腐葉土を食べて育つが、その心境である。
食後はシャワーを浴び、ついでに靴下を洗う。
靴下は7足持ってきたので今日で1週間が過ぎたことになる。
アンダーシャツなんかはもっと持ってきたので本格的な洗濯は
まだまだ先でも大丈夫であるが、靴下は週に一度は洗わないといけない。
キッチンでコーヒーを入れ、来週研究計画の相談で話す内容をぼんやりと考えてみる。
いっしょに仕事をするEmmaは夜側オーロラ帯を中心に南北比較をやりたいようだが、
ざっと見た感じ、夜側はかなりcomplicatedだという印象を持った。
もし夜側をやるならば統計ではなくケーススタディから立ち上げていく方が
ベターかもしれない。サブストームの効果も見積もる必要が出てくるだろう。
個人的にはそういうごたごたしたことを考えるのは他の人にまかせたいところ。
シンプルな道具立てでシンプルに考えられるような対象を扱いたい。
要は面倒くさがりなのだ。まあこれは自分一人で考えていても始まらない。
相談のうえで然るべき方向性が導き出せるだろう。
昨日は酔っ払いだったのであまり日記が多くならなかったが、
今日はかなり長くなった。これは明日朝早く起きなくても構わないため
夜更かしをしたからである。1時頃就寝。

20/01/2001 (Sat)

今日がイギリスに来て初めての休日ということになる。
こちらの研究者は土日をほぼ完全に休む。日本では特に立てこんでいなくても
土曜日は大学に行って仕事をするし、立てこんでくると日曜も大学にいったりする。
日本が特別なのであろう。この10日程ずっと早起きが続いたので、
朝はゆっくり眠りをむさぼる。10時頃に起きて窓を開けると、外は快晴である。
こちらに来てから満足に青空というものを見たことがなかったので
自然と気分も良くなる。服を着替え、昼食を調達するために近所のスーパーに向かう。
始めはキッチンで何か自分で作ってみようと思ったが、京都でラーメンとか
チャーハンとかしか作っていないためアイデアというものが出てこない。
どのような食材を買えばどのような料理が出来上がるかが皆目見当がつかないのである。
そこで、完全な自炊はあきらめて、冷凍食品のチャーハンを買ってくる。
インドのタンドリーチキンのチャーハンである。2ポンド弱だった。
さっそくキッチンでフライパンにあけて炒める。6分ほどでできあがると
書いてあるが10分くらい炒めないと食べる段階にはならなかった。
味はまずまずいける。こちらに来てもかなりの頻度で米を食っていることに気づく。
パンも美味しいが、やはり米じゃないと力がでないような気がする。
おなかがいっぱいになったところで、Steveの家に電話をかけてみる。
土日のどちらかに来いということを言われていたので早速伺おうというのだ。
電話には嫁のGabbyが出た。今、Steveは外出していて、3時頃にならないと
もどらないそうである。4時か5時くらいに伺う旨を伝えて電話を切る。
Steveの家に行く前にレスターの街を歩いてみる。
幹線道路まで出て少し郊外の方へ歩いていく。
道沿いの風景はレンガ造りの建物が多いせいか非常に落ち着いた印象を与える。
どぎついいろの看板などがないせいもあるだろう。
街の全景が見たかったので少し高いところへ歩いていってみる。
住宅街のほうを見下ろすと 同じような感じの建物がつらなってまさに我々が
イメージするヨーロッパである。さらに街外れに歩いていき、
プレミアリーグのLeicester Cityのスタジアムに行ってみる。
今日はここでアーセナルとのホームゲームが行われている。
Lester教授は息子といっしょに観戦していることだろうと思う。
ラグビーのチームLeicester Tigerのスタジアムも隣にあり、
こちらでも今日はホームゲームが行われている。
Leicester Tigerは現在リーグ一位である。強豪なのだ。
空も曇ってきて、寒くなってきたのでSteveの家に向かうべく大学の近くに戻ってくる。
4時過ぎにSteveの家に到着。家ではSteveが待っていてくれて、
これからモールドワインをつくろうと思うのだがと言う。
ワインをつくるとはどういうことか最初は見当がつかなかったが、
いっしょに買出しに行き、買い物の内容を見ていて大体理解できた。
ワインの温めてシナモンやらレモンやらを混ぜて加工するといったことなのだ。
買出しから帰ると嫁のGabbyと息子のFelixも帰ってきた。
Gabbyと会うのは半年振りである。彼らが来日したときはFelixは
まだベビーカーを乗りまわしていたのだが、もう歩いている。
言葉にはなっていないが、「アー」とか「ウー」とかいう音は喋る。
瞬く間に僕よりも英語ができるようになるのであろう。
Steveが作ってくれたワインをいただく。とてもおいしく3杯もおかわりをしてしまう。
イギリスではこのワインをクリスマス周辺の寒い夜に飲むそうだ。
さらに中華のテイクアウトを取ってくれ、箸を使った食事をさせてもらう。
カレーやら中華やらで、米ばっかり食っているような気がする。
日本では麺類ばっかり食べているので、ひょっとしたらこちらに来てからのほうが
多く米を食べているのかもしれない。
テレビではLeicester Tigerのラグビーの試合が放送されている。
ほんの1キロ先のスタジアムでやっている試合だ。
外国のスポーツを見て思うのは、基本的に激しいボディコンタクトを伴う
スポーツで日本人がそれ以外の国に対抗するのは大変だなということ。
Leicester Tigerの試合でも当たりはすごく激しい。状況判断もはやい。
パスの距離も非常に長い。キックもすごく飛ぶ。そして基本的にミスがない。
これでは伏見工業の気合のこもったタックルでも通用しないかもしれない。
ラグビー中継のあと、今日のプレミアリーグの結果がダイジェストで放送される。
Leicester Cityはなんとアーセナルに引き分けるという快挙を成し遂げた。
監督のインタビューではアーセンベンゲルが出てきた。
「この人は前にJリーグの名古屋グランパスの監督をやっていた」と言うと、
Steveは知っていたがGabbyは驚いていた。
Steveが名古屋を知っていたのはリネカーがかつて在籍していたからである。
彼はレスターの出身で、Leicester Cityでもプレーしていた。
郷土の英雄なのである。街のショッピングセンターには
リネカーの親父の経営する八百屋があり、非常に繁盛しているそうだ。
我々が食事をし、話をしている間もFelixはしきりに動き回っている。
今が一番手のかかる時期なのかもしれない。
デジタルカメラを持ってきていたのでFelixを撮ってみる。
どうもバッテリーが切れかけていたようで、きれいに撮れない。
実物はこれよりもずっとかわいらしいのに申し訳ない。
結局4時間くらいSteveの家でくつろがせてもらった。帰りにCDを4枚借りて帰る。
OrbitalとかAsian Dub Foundationとかである。
すでにパソコンの中のMP3に飽きてきていたのでこれはありがたい。
8時30分に宿舎に帰る。シャワーに入り部屋で日記を書く。
明日はレスターの中心街をもう少し攻略してみようと思う。
SteveにHMVよりも安いレコード屋を教えてもらったのでそこへも行きたいと思う。
生活に必要なものもいくらか買う必要があるし。12時就寝。

21/01/2001 (Sun)

9時頃起床。窓を開けるとなんと雪景色。雪が降っている。
今日は中心街の方へ出かけようと思っていたのに。外に出てみると恐ろしく寒い。
今日は宿舎のBrunchに行く。基本的に週末は朝食というものは用意されておらず、
12時から朝昼兼用の食事がでるようだ。昨日はこのシステムを知らず
勝手に自炊をしてしまったが食事はなるべく宿舎のもので済ませたい。
午後になって雪は雨に変わった。しかし寒いことには変わりがない。
実家と友人に電話をかける。まだ部屋の電話の使用手続きをしていないので、
近くの公衆電話からかけた。昼頃かけたので向こうは夜だったはずである。
午後は意を決して街にでることにする。小雨が降りしきる悪天候のなかを
中心街まで歩いていく。結構距離があるが、初めての土地なので
風景を見ているだけで飽きることはない。大学を通りぬけ、
歩行者専用の道路を通る。この歩行者専用道路はかなり便利で
自動車用の道とはうまく交差しないような工夫がされているため、
信号待ちをすることなく中心部まで行くことができる。
途中にはレスター市のミュージアムなどもあり帰りによってみようと思う。
40分ほど歩いて中心街に着く、Steveの話では10年くらいまえは
土日に開いている店などほとんどなかったがここ数年で土日も営業する店が
増えてきているそうだ。大型ショッピングセンターに入ってみる。
このショッピングセンターはいわゆるアメリカ式のものである。
日本にもここ数年で爆発的にこういうタイプの店が増えてきている。
かならずマクドナルドがあるということが大きな特徴である。
しかし、便利であることは否めないのだろう、たくさんの人が買い物をしている。
まずはこの前行きそびれたバージンメガストアでレコードを見る。
京都でもCDを買うときはまずバージンメガストアに行く。
京都よりもこじんまりとしているが、雰囲気はいかにも外資系のレコード屋である。
日本ではレコードというものは本と同じで時期がすぎたからといって
安くなるものではない。しかしここでは賞味期限が過ぎたものは
じゃんじゃん安くしていくようだ。少し前のCDはとても安い。アルバムが
800円くらいで買えてしまう。ここぞとばかりに2枚ほど安くなったものを買う。
非常に得をした気分になる。在庫も先週行ったHMVよりも充実している。
また楽譜のコーナーでStone Rosesのスコアを見つける。しかも安い。4ポンドであった。
日本にはヘビーメタルのような音楽の楽譜はいっぱいあるのだが、
こういったブリティッシュロックの楽譜は少ないのである。
貴重なものを手に入れることができた。
これでCDを聞いてコードをあれこれ考えなくても、ギターを弾いて遊ぶことができる。
ショッピングセンターを出て本屋に向かってみる。コンパクトな同義語辞典(シソーラス)と
ロンドン市内の地図が欲しいと思っていたのである。
同義語辞典は非常に小さいものが見つかりしかも2ポンドと激安だった。
ロンドンの地図は残念ながらわりと分厚いものしかなかった。
ロンドンの地図と言えば昔シャーロックホームズに夢中になっていた時に、
ロンドンの地図を買い、いちいち場所をチェックしていたことを思い出す。
あのころはホームズシリーズに狂っていて、全ての話のあらすじからトリックまで
全て覚えていた。中学生の頃だったと思う。
その他に、Leicester Cityフットボールクラブの公式ガイド本と
プレミアリーグの観戦ガイド、オアシスの伝記のペーパーバックを購入。
今日はこのようなこまごまとした買い物をした。
まだ滞在も序盤なので用心をしてお金を使っていく必要がある。
滞在の終わりの頃にお金が余っていたら靴などを買おうと思う。
中心街を歩いているとスターバックスコーヒーがあったので
入ろうとすると、店員に4時で閉店だと言われる。
サンフランシスコを懐かしんでコーヒーを一杯飲もうと思ったのに残念である。
良く見てみると他のお店も店じまいの支度をしている。イギリスの夜は早いのだ。
それもそうで、4時を過ぎるとだんだん暗くなってくる。
ここらへんが潮時と判断し、中心街から歩行者道路を通って帰途につく。
途中のミュージアムも案の定閉まりかけていた。
入ってみると「残り2分だけどどうする?」と言われる。「来週来ます」と言って出てくる。残念だ。
今後は、土日は全ての店舗が早く閉まるということを念頭において行動しなければ。
今日の夕食は5時30分なのでこれから急いで帰らないといけない。
なにやら毎日急いで帰っているような気がする。
時間に遅れると食べられないというのはなんとかならないものだろうか。
夕食のメニューは待望のローストビーフだった。添え物のジャガイモも
非常に美味しい。デザートには長い長いエクレアがついていた。これも美味。
今日はどうやら当たりの日らしい。こんなのを毎日続けていたら太るなあ。
食後はシャワーを浴びて部屋に戻り、今日買ってきたオアシスの伝記を読んでみる。
日本から日本語の本を2冊持ってきていたが、飛行機のなかでほとんど読んでしまって
いたので、これからはこれらの英語の本を暇つぶしに読むことになる。
果たして日本語の本を読むように楽しめるだろうか。挑戦である。
明日からはいよいよ滞在も2週目となる。どのような展開になるのだろうか。
乞うご期待というところである。

22/01/2001 (Mon)

いつものように7時30分起床。京都ではだいたい8時過ぎに起きるという生活を
していたのだが、それが30分早まったところでたいした違いはない。
今日から滞在2週目が始まる。8時に宿舎の朝食を摂りに行くが、
京都では今ごろ修士論文の締め切り時間が来ていることに気づく。
京都の情報は院生各氏のインターネット日記などで仕入れていたのだが、
なかなか緊迫感のある締め切り前だったようだ。去年我々が修士論文を出した時には、
余裕を持っての提出だったので、周囲をがっかりさせた。
これから提出後の開放感を味わいながらうまいビールを飲むことであろう。
お疲れ様。こっちはそれに合わせてビールで乾杯する訳はなく、
朝食を摂っていそいそと大学へ向かう。8時50分大学到着。
今日は週末の分のメールが溜まっており処理にいつもより時間を要す。
夏に日本である国際学会AP-RASCで発表しないかというメールが
前田先生から届いている。是非出したいところであるが、
どのテーマで出すかが問題である。今までのテーマで行ってもいいのだが、
できれば新ネタを持ってきたいところだ。非常にタイミングが難しい。
締め切りは1月31日である。まだしばらくある。
こちらでの仕事の進み具合も考え合わせて決めようと思う。
今日は、午後にLester教授と院生のEmmaと一緒に今後の仕事の相談をすることに
なっている。その時に見せる資料をさらにプリントアウトする。
10時前にLester教授が来て、「今日は14時からでいいか」と聞かれる。
自分としてはいつでも構わないので、「大丈夫です」と答える。
ついでに、プレミアリーグの観戦の件を確認する。僕が連れていってもらえるのは、
2月3日のチェルシーとのホームゲームだということだ。
今からとても楽しみである。たしかチェルシーには元イタリア代表の
ジャンフランコゾラがいたと思うのだが、現在もプレーしているのだろうか。
ちなみにLester教授は現役時代はキーパーをやっていたそうだ。
今日は10時にもコーヒーブレイクがある。この研究室の人は10時と昼食と15時に
必ずみんなで集まって大学のカフェテリアに行く。
今まではたまたま10時に席を外していて行けなかったが、今日は参加できた。
普通の院生は9時過ぎに来て、5時過ぎには帰る。
そしてこんなに休憩をしていつ仕事をしているのかと思う。
実働5時間くらいではないだろうか。地磁気センター秘書の近藤さん級(ワールドクラス)である。
Gabbyが「敬祐のアドレスもメーリングリストに入れといたから」と言う。
何のメーリングリストか分からなかったが、良く聞いてみると、
パブに行く日時を回覧するメーリングリストのようだ。それはありがたい。願ってもないことである。
ちなみにこちらの人は敬祐(Keisuke)を「けづけ」と発音する。
「けづけ」と呼ばれて自分のことであると認知するまでに、どうしても数秒の時間遅れが生じてしまう。
ちなみに細川(Hosokawa)は難しすぎて誰も使えない。
NASAに行っている先輩の家田さんはニックネームは非常に重要だと言う。
家田さんはAkimasaなのでAkiと呼ばせるようにしているそうだ。
それを応用してみると自分はKeiということになる。
そんなピンクレディーの片割れみたいな名前は嫌だ。「けづけ」の方がまだいい。
ブレイクの後は「Go」を使ってDusk Scatterのプロットをしてみる。
あまりに「Go」の描画が美しいので今まで自分が持っていたプロットが
みすぼらしく見え始めたのである。すべて「Go」を使って作り直すことにする。
Steve様様である。12時にまた同じカフェで昼食。オレンジジュースとサンドイッチ。
昼間はみんなこの形式である。さすがに少し飽きてきたような気もする。
14時からLester教授とD3のEmmaと3人で研究に関する相談。
まずはEmmaの話を聞く。彼女は夜側におけるスペクトル幅の統計をやっていて、
IMFやKpなどとの相関こそとっていないものの、非常にかっちりとした解析を
やっている。オーロラオーバルの付近において、
スペクトル幅の分布の性質がはっきりと変化するのが見て取れる。
これが昼間側ならばOpen/Close Boundaryであると考えるのであろうが、
夜側において、この遷移領域が何に対応しているかはまだ明らかではない。
それが明らかにできれば少し発見学的な側面も出てくるのではないだろうか。
また彼女は昼間側での統計も少しずつ始めているようで、そっちの方は今までの
論文などとconsistentな結果が得られているようである。
Emmaの話の後に自分の昼間側での結果を話す、IMFのBzおよびBy成分に対する
スペクトル幅の広いエコーの依存性を統計的に扱ったものである。
Lester教授がいくらか気になる点を指摘してくれた。
スペクトル幅の広いエコーを抽出する際のcriterionの問題がひとつ。
自分の用いている300m/sというcriterionは大きすぎるということだ。
200m/s程度が一番良いようで、その証拠となるプロットなども見せてもらう。
もうひとつは詳しくは書かないがoccurreceの定義の問題である。
これは名大の小川先生も「どうも引っかかるなあ」というようなことをおっしゃっていた魔の領域である。
その2点を直せばもっと説得力が出てくるというアドバイスをもらう。
こんなアドバイスを近くで聞けるのは非常に貴重なことである。
自分は京都でほぼ指導教官から独立して仕事をしているために、
時々ひとりよがりな解析をしてしまうことがある。
そんな時、軌道修正してくれるような指導者の存在というものは不可欠である
ことを痛感する。自分はそんな指導者を今のところ外に求めている。
レスター大学のスタッフもその一部ということになる。
そして、肝心のこちらでの仕事であるが、レスターのレーダーの磁気的共役点を
昭和レーダーのなかで探し、その点に関してEmmaと同じような解析を
やってみることになった。Lester教授に、「今週だけでできるよな」と言われるが、
こちらは統計のデータベースが京都になるので、リモートで仕事をすることになる。
できるかどうか不安であったが、「たぶん大丈夫」などと言ってしまう。
典型的な「ノーと言えない日本人」である。忙しくなるなあ。
昼間の仕事時間が5時間くらいしか取れないので集中してやらなければならない。
最短距離で走り抜ける必要がある。結局1時間少しで研究に関するdiscussionは終了。
別れ際にLester教授がSuperDARNのoccurrence statisticsの論文をくれる。
Ann. Geophysicae誌の来月号に掲載されるものでフランスのグループの
新しい結果である。北半球の全てのレーダーを用いて、SuperDARNのscattering occurrenceの
惑星間空間のパラメータに関する依存性を解析している。
Lester教授が同誌のSpace Physics部門のエディターをやっているので、
自分に関係アリと考え、渡してくれたのだと思う。
でもちょっと見た感じ非常に大雑把な解析のようだ。
良く読んでみないと分からないが、心配御無用だと思う。
部屋に戻って大急ぎでカフェテリアでのコーヒーブレイクへ。
このカフェブレイクに毎度参加しているが彼らの日常会話英語は
やっぱりなんにもわからない。話題さえもわからないとこがある。
話題が自分に振られたときだけ分かる。そしてなんとか答えを英語ででっちあげる。
しかし、答える時の英語は少しはましになってきたかなとは思う。かすかな成長か。
休憩終了後は、新しく始める統計の設計図を作る。
いくつかの処理を段階的にしていく必要があることが分かった。
京都の計算機とこちらの計算機を同時に使っていくことにする。
効率の良い方法を考えていたら今日も仕事終わりの時間が近づいてきた。
5時40分に大学を出る。今日は風がとても強く、
帰りにビクトリアパークを横切るときめちゃくちゃ寒かった。
ニットの帽子を突き抜けて寒さが頭を直撃した。6時に宿舎に到着。
すぐに夕食へ。なんと今日もカレーだった。
やっと分かった、イギリス人はカレーが大好きなのだ。
今日のカレーはチーズカレーである。とても美味しかった。
しかし、デザートはやっぱりボリュームが凄くて大量に残してしまった。
食べれるかあんなもん。今日はアンダーウエアの洗濯をする。
まだ余裕はあるのだが、暇なときにできるだけ洗濯をしておこうと思ったのである。
一通り洗って、部屋のヒーターの上にかけておくと2時間くらいで乾く。
この温水ヒーターというのは非常に便利である。
このヒーターのお陰で部屋は温かいし(部屋の中では半袖で過ごせる)、
洗濯物も乾かすことができる。火事の心配もまったくない。
昨日買ってきたCDを聞きながら日記を書き、その後は英語の本に挑戦。
自分の好きなミュージシャンの伝記であるが、
さすがに読んでいてのめりこむという感じにはならない。言葉の壁は厚い。

23/01/2001 (Tue)

7時30分起床。昨日寝つきが悪かったので少々眠い。
8時からいつものとおりの朝食を取る。相変わらずおいしい。
8時20分に宿舎を出て大学へ向かう。今日は風が生ぬるい。
なんとなく雨の予感がする。8時50分に大学について、メールのチェック。
3月の後半に名古屋でカスプに関する小さい集まりをやるようだ。
名大の野澤さんや東北大の藤原さん、前田先生などが中心になって、
ローカルに何度か集まっておられたのを、拡張するらしい。
よければ来て発表しないかというメールを野澤さんからいただいた。
是非行かせてくださいというメールを返信。3月の末だ。
メールの処理を終え、昨日Lester教授と話した内容についての作業をする。
京都に繋いで、昭和レーダーとこちらのレーダーとの共役点を求める
プログラムを組む。なにしろレスポンスが遅いのでストレスが溜まる。
こちらにプログラムを全部持ってきてやってもいいのだが、
様様なライブラリを読みこんでいるので
それらをこちらで再構築するよりは京都でやったほうが早いと判断した。
10時のブレイクまでにはその計算は出来ずじまい。
ブレイクの時の話題はハノイで行われるIAGAという国際学会と
イタリアであるSuperDARN Workshopのどちらに行くのが楽しいかということ。
どうするのかと聞かれて、自分はイタリアに行けるかすらわからないと答える。
こちらの人々はイタリアに行くという人のほうが少し多かった。
まあイギリスからだと近いからね。休憩後は共役点を求める計算を続ける。
本当に大変な作業。昼食前にやっとのことで場所が求まった。
レスターのレーダーと昭和のレーダーの視野を重ねてみて合っていることを確認。
昼食に向かう。今日もサンドイッチとオレンジジュース。
これで2ポンドと少し。400円くらいである。
この400円くらいの食事とブレイクの時の100円くらいの飲み物。
何もない日は、これが一日に使う全てのお金である。
日本でいるとコンビニなどで要らないものを買ったりしてしまいがちであるが、
ここでは要らないものが売られていないので非常に経済的である。
午後は、求めた共役点のデータを抜き出して統計用のデータベースを作る。
アスキーでアウトプットして、全部こちらに引っ張ってこようと思っている。
その作業もなかなか難航。レスポンスが遅いので、思考のほうがキータッチよりも
遥かに早くなってしまう。プログラムを組むのにやたらと時間がかかった。
それでも3時の休憩前にはプログラムも完成。
休憩後に全ての期間についてデータベースを作る。やっと終わった。
京都では指導教官に「この作業をこの期間でやれ」というような指示を受けたことは一度もない。
こちらにきて、Lester教授に「今週中にこの仕事をしよう」
ということを言われて少しプレッシャーを感じたりしているのだろう。
今週中に仕上げなければという切迫感があるので今日は仕事の鬼になった。
京都でいたら、「土日もあるし」と考えてもう少しゆっくりとやるところだろう。
もう今日は仕事をしたくないという感じになったので、5時20分くらいに大学を出る。
いつも急いで宿舎に帰っているのだが、今日は余裕を持って帰ることができる。
昨日と同様風が強く、雨も降っている。ひどい天気である。
ニット帽をかぶりさらにその上からフードをして歩く。
宿舎に帰って食事に向かう。なんと今日もカレーである。
でも今日はミンチカレーだ。昨日のチーズカレーの方が美味しかったな。
今日は激しく仕事をしたので、とてもとても疲れた。
風呂に入って部屋に戻るとすぐに眠くなる。よって日記も分量が少なめである。
余計なことをあまりごたごたと書かないほうがシンプルでいい。今日は早めに就寝。

24/01/2001 (Wed)

昨日はどうやら少し風邪ぎみだったようだ。
帰り道で雨にうたれたので体が冷えてしまったのだろう。
しかし、昨日の夜に日本から持ってきた葛根湯を飲んだので今日は復活。
やはり風邪をひきはじめで押さえるには葛根湯に限る。
7時30分にいつもどうり起床。8時からの朝食を取り、大学に向かう。
昨日とうってかわって、今日は青空が広がっている。
8時50分に大学到着。メールのチェックをする。サークルの友人たちからメールがいくつか来ている。
彼らにはイギリスに行く旨を伝えてあったので、「イギリスどう?」という内容のメールである。
それらに少し時間をかけて返事を書く。
その後は、昨日作成した共役点統計用のデータベースを京都から引っ張ってくる作業。
できるだけファイルサイズは小さくしたつもりであるが、
やはり物理的な距離が遠いため、転送には半日程かかりそうである。
ここまでの作業をして、10時からのカフェブレイクに向かう。
今日の話題はどうやら、ポスドク時代に如何にして給料をもらうかということである。
話の発端は、Steveが来週の水曜日に
PPARC(Particle Physics and Astronomy Research Council)
の研究員のポストの更新面接を控えていることにある。
もしそのポストが更新できれば、再び5年間の生活が保証されるとのこと。
今は、月に2500ポンドの給料をPPARCからもらっているそうである。
更に大学からも幾らかの給料が出ているらしい。良い身分だ。
彼はその面談に対して少しナーバスになっているようだ。
この研究室にはポスドクが多く、それぞれがなんらかの形で
お金を工面して研究している。日本でもポスドクの身分というのは
負けず劣らず不安定なものである。ここらへんの事情は全く同じみたいだ。
ただし、この研究室には助手とか助教授というポストが存在しないので、
なおさら厳しいのだろう。実際、院生と同じ数のポスドクがいる。
しかし、実際活発に論文を書いているのはその世代の人たちである。
ポスドクの頃が一番体力と経験のバランスが良いのではないだろうか。
ある程度頑張りも聞くし、そこそこの知識もある。そして、何より業績に対してハングリーである。
休憩後は、データの転送が終わるまで待つのももったいないので、
そのデータベースを読んで、統計作業をするプログラムを先回りして組んでみる。
やはりこちらでプログラムを組むのは楽である。
コンパイラもC言語に関する限りなんの問題もない。すぐにプログラムも完成。
ここで昼食に行く。今日もサンドイッチとコーヒーである。
明らかに飽きてきているが、メニューがそれしかないのでしょうがない。
昼食の時も若手のメンバーはみんなで集まって食べるが、
休憩の時に比べて皆引き上げるのが早い。食べるものさえ食べてしまうとすぐに席を立つ。
自分もサンドイッチを食べて、すぐに仕事に戻る。
データベースの転送が終わり、やっと統計のプログラムを走らせることができる。
いくつかのバグを取り除き、統計結果が得られた。
今回の統計は、従来のものと比べるとかなり小さいデータベースを元にしているため
時間がかからないのが良い点である。
京都では3日くらい統計のプログラムを走らせる必要があるのだが、
今日は10分くらいですべての統計結果が得られる。非常に楽ちんだ。
そのかわり、結果の数字をぱらぱらと見てみると、
サンプルが少なくばらつきが大きいような印象である。
ここで3時のブレイクに向かう。このブレイクの時間は、同部屋の
Jackyが「コーヒータイム」という掛け声をかけてくれ、
自分はそれに合わせて、のこのこと出て行く。
ブレイクに行くには、3時くらいにうまく部屋に居ることが大事である。
休憩の席で、ロンドンの観光について尋ねてみる。
今週末にロンドンに行こうと思っているので、地元民の意見を聞こうというのだ。
まず、ロンドン市内の移動はやはり地下鉄が便利だそうだ。
バスはややこしいのでやめといたほうがいいと言われる。
観光スポットに関しては、地球の歩き方にのっているのとそう変わらなかった。
しかし、どうやら「アートが好きかヒストリーが好きか」で
回るコースにいくらかの違いがでてくるようだ。
まあ、実際に行ってみて考えよう。休憩後は、統計結果をプロットにする作業をする。
こちらの院生のEmmaが北半球を、自分が南半球を分担してやることになっているので、
統計結果の表示もEmmaのものにフォーマットを合わせることにする。
ラフなプロットを出し終えて、一息つく。なんとか火曜日と水曜日の
2日間でめどを立てることができた。昼間の仕事時間が少ないのだが、
その分集中してやることができたと思う。悪くないペースだ。
明日はもう少し結果を整理し、明後日結果の解釈をしようと思う。
というところで今日はこれで打ち止め。
5時40分になってしまった。いそいそと宿舎へ帰る。
今日の夕食はハムステーキと本当のステーキの盛り合わせ。非常においしい。
付け合せのポテトも美味しい。こういう単純に食材を焼いたり茹でたりしている
限りイギリスの料理は美味しい。しかし、ケチャップを入れて煮込んだりしてある
ものはとてもまずい。最近は積極的にそのようなメニューを取らないように
しているので被害は少なくて済んでいる。
特に豆の煮物のようなものが猛烈にまずいのだ。
食後はシャワーを浴びて、日記を書き、論文を読む。
英語のノンフィクション小説を読むことをあきらめたのだ。
一昨日、昨日とチャレンジしていたが、分からない単語が多すぎる。
辞書をいちいち引くのは面倒くさいので、推量して読んでいると、
なんだか大学受験の勉強をしているような感覚になってしまう。楽しめないのだ。
英語の小説よりも論文のほうが読んでいてまだ楽しめる。因果な商売かな。

25/01/2001 (Thu)

今日は7時40分起床。手早く準備をし、朝食を摂って大学へ。
今日は8時40分くらいに到着した。
メールをチェックをするのもそこそこに仕事に取り掛かる。
昨日荒くプロットしたものに更に手を加える。
Emmaと同じフォーマットにするためにカラーバーなどを調整。
コンターマップの規格化の方法などを合わせるのが結構面倒くさかったが、
なんとか彼女のものとそっくりの図を作り上げることができた。
ここでEmmaが統計の時の不良データの取り除き方についてたずねてきたので、
同じにするために打ち合わせをする。自分の使っているノイズ除去方法の方が、
彼女の使っているものよりも厳しかったようだ。
兼ねてから自分でも少し厳しすぎるかなと思っていたので、
彼女の方法に合わせて変更することになんの問題もない。
これで統計の母集団が少し増えるため分布が落ち着くかもしれない。
このような変更があっても今回の統計処理は要する時間が少ないので、
すぐやりなおすことができる。従来のものだとまた2日ほど計算機を
動かさないと行けなかったところである。10時の休憩に行く。
休憩の時はずっとホットチョコレートを飲んできたが、
さすがに嫌気がさしてきて、今日からエスプレッソに鞍替えする。
本当のことを言えば、缶コーヒーが飲みたい。
日本食が食べたいという欲望はまだないが、缶コーヒーが飲みたいという
激しい欲望が突き上げてくるのはずっと感じている。12月の半分はアメリカで
過ごし、年末年始は実家に帰省し、そしてすぐにイギリスに来たので、
ここ2ヶ月くらいの缶コーヒー摂取量が足りないのである。間違いなく禁断症状である。
しかし、それは健康にとっては良いことなのだろう。そう信じて、我慢する。
他の人はほとんどが紅茶を飲んでいるがまだ紅茶を飲んだことはない。
エスプレッソにも飽きたら紅茶にチャレンジすることであろう。
休憩の時にこちらのテレビ事情について聞く。自分の宿舎にはテレビが
全くないのでそれを知ったところでどうにもなるものではないが、
ふと気になったのである。地上波は5チャンネルだそうだ。そのうち2つは
有名なBBCである。しかしBBCのうちの一方は教育テレビ的なものなので、
実質4チャンネルなんだそうだ。しかし、ほとんどの人がケーブルテレビで
たくさんのチャンネルを見ている由。ケーブルテレビがないと
スポーツなどは全く見られないということだ。
休憩後は、今やっている統計解析の拡張版を京都の計算機でやってみる。
共役点の統計をやっていて、ふと思いついたものである。
これはLester教授にやれと言われているものではないので、別に急ぐ必要はない。
丁寧にプログラムを組んで走らせる。それにしても、京都は修士論文が
終わったからか計算機を使っている人が少ない。夜ということもあるが。
計算機が空いているので、統計プログラムもさくさくと終わりそうである。
この解析がうまく行けば春の学会で喋れるかなどと皮算用をしてみるが、
あまり過剰な期待はしないようがいい。ここで昼食。
今日はチキンとコーンのサンドイッチである。
このように昼食が少ないので夜は早く腹が減る。6時前にはペコペコである。
午後は、共役点の解析結果のパラメータサーベイのようなことをする。
季節で分けたり、場所で分けたり、様様な表示をしてみる。
なんとなく結果は出ているという印象。昼間側では明らかに
Open/Close Boundaryらしきものの存在を感じることができる。
夜側は夏に関してやはりBoundaryがあるように見えるが、
データポイントが少ないためにはっきりとしたことは言えない。
全ての図をプリンタに送ってから3時の休憩に向かう。
休憩からもどるともう4時である。プリントアウトした結果を見ながら考える。
夜側の分布というものはどうやらオーロラオーバルの形と関連がありそう。
明日は、その関連性を解析してみようなどと思う。
モデルを引っ張ってきて、比較するのだろう。
まあやれと言われた分の最低ラインはこれで達成していると思う。
しかし、英語力が不足する分、結果をきちんとさせておかないとだめであろう。
もう少し問題を突き詰めておく必要を感じる。これは明日の仕事だ。
今日は6時前に大学を出る。急いで夕食に向かう。なんと今日もカレー。
またラムカレーだ。しかし週に何度カレーなんだ。こちらはライスが
食えるのでありがたい限りであるが、他の人はどうなんだろう。
食後に、ロンドンに住んでいる友人に電話をかけてみる。
観光案内を頼むつもりはなかったが、せっかくイギリスに来ているので
食事くらいはしたいと思っていたのだ。
おそらく観光案内などは何度も頼まれているだろうから申し訳ないと思っていたが、
大学のテストが終わって丁度暇でしょうがない時期らしく、
案内をしてくれることになった。メールで観光スポットの候補を送るから
いくつかセレクトしてくれということである。
それを元に計画を立ててくれるそうだ。まことにありがたい。ありがたやありがたや。
土曜日の11時にピカデリーサーカスのエロスの像の前で待ち合わせということにし、電話を切る。
11時にロンドンに行くには9時くらいの電車でレスターを出れば良いだろう。
その後は、靴下の洗濯をする。良く歩いているからか(行きかえりで50分)靴下も非常に汚れている。
洗ったあとヒーターにかけておくと2時間ほどで乾く。非常に便利である。
日記を書いた後は、夏に東京である国際学会AP-RASCでどんな内容を発表するか
をぼんやりと考える。出すのは、前田先生がコンビナーをされるセッションに
しようと思っているのだが、肝心の内容をどれにするかを決め兼ねている。
投稿の方法が少々ややこしいので、早く決めないとと思っているのだが。

26/01/2001 (Fri)

今日は7時50分起床。8時からの食事に行く。
今日は9時に宿舎の事務所が開くのを待って、滞在費の支払いをしなければならない。
1週間ごとに清算していくシステムのようだ。滞在費は朝食夕食込みで週73ポンド。
かなり安いと思っていいだろう。2ヶ月滞在しても10万円かからない。
事務所に行き、まずトラベラーズチェックで払えるかどうかをたずねる。
全く問題ないそうだ。これはこちらとしては非常に有難いことである。
いちいち換金して支払いを行うことを考えるとぞっとする。
さっそくトラベラーズチェックで支払いを行い、その足で大学に向かう。
9時40分に大学到着。メールをチェックしているともう朝のカフェブレイクである。
毎週金曜日には、午後4時からグループミーティングという名前の
セミナーがあるそうだ。また、セミナーの後には定例の飲み会があるようで、
みんなでパブに繰り出すようである。その日に、どのパブに行くかというのは、
パブのメーリングリストで知らされるようだ。京都の研究室で飲みに行く時、
たいていは二穴の「今日は俺としては、飲みもやぶさかではない」
などという曖昧かつ無計画な発言によって突然決定されることが多い。
自分はそのような自然発生的な飲みも好きであるが(無計画な感じが良い)、
飲み会通知専用メーリングリストがあるというのも、それはそれで面白い。
休憩の後は、Lester教授に言われているのとは別に自分で勝手にやっている
統計処理が終わったのでそのプロットを作る。IMF BzおよびByで分けたものである。
Open Closed Boundaryの統計的な位置がどのようにIMFに依存しているかを
明らかにするべく作成した。IMF Bzに対する依存性は明らかであるが、
IMF Byに関してはあまり大きな変化は見られないような気がする。
MLTがどのように変化するかを詳しく見ていないのでまだなんともいえないが。
昼食はサンドイッチとコーヒー。変わり映えのしないメニューである。
午後は大学の旅行センターに出向き、Young Persons Railcardというのを
発行してもらう。これは何度も使える学割のようなもので、割引率は33%である。
発行には写真一枚と18ポンドが必要である。ここで学生であることを証明する
ために国際学生証が役に立った。やはり作ったかいがあった。
ロンドン往復は60ポンドなので、ロンドンまで一往復するだけで元は取れる。
手続きはすぐに終わりかっこいいカードをもらう。
これでこれからは鉄道を思う存分利用することができる。
セミナーの時間までは統計のプロットをすべてプリントアウトする作業をする。
この1週間でプリントアウトしたプロットは膨大な量になる。
来週の月曜日に少しまとめを行いたいところである。
4時からセミナー。セミナーの部屋に大体20人くらいの人間が集まって行われる。
研究室の規模としては京都と大体同じようなもんである。
発表者は3人。今回はRisaというD1の学生とSteveと教授のTudor Jonesである。
Steveの話が興味深い。昼間側電離圏対流というもののIMF Byに対する依存性は、
冬には消失してしまうという統計結果。同じようなことを南半球のデータで
確かめられないかと思ってみる。案の定Cowleyが「共役点のレーダーの
データをチェックするべきだ」というようなことをコメントする。
これはレスターでの次の仕事となりうるのではないだろうか。
発表時間は一人20分きっかりであった。5時ちょうどにセミナー終了。
質問、コメントなども非常にあっさりとしたもので、
議論続き収集がつかなくなるといったことはなかった。
セミナー終了後、パブに向かう。仕事に区切りがついた人から随時
パブに向かうという形式。行ったのは、Steveの家の近くのclendonというパブ。
パブでは、誰かがオーダーをまとめてカウンターに買いに行く。
ビールが減ってくるとまた別の誰かが買いに行く。要はかわりばんこにおごりあって、
最終的にみんなの支払いがトントンになるという仕組み。
驚くのは、パブに行く前に特に食事をすることはなく、
パブでも食べ物は全く頼まないということ。要は夕食がビールなのだ。
今日は5パイントのビールを飲む。空き腹なのでいつもよりも酔っ払うのが早いか。
話題はくだらない話から、まじめなサイエンスの話までいろいろ。
最初の1パイントを飲んだところで、急に英語が聞き取れるようになったように
感じたが(錯覚か?)、3パイント飲んだところで元に戻ってしまう。
喋るほうは3パイントくらい飲んだところから俄然、活舌が良くなり、
5パイント飲んだところで急に舌が回らなくなった。
3パイントくらいの酔い加減を持続させれば随分会話に絡むことができる
と思われるが錯覚だろうか? 11時前に、
Steveに「明日ロンドンに行くんじゃなかったのか」と言われ、はっと我に返る。
ビールを飲むのと、英語で会話することに集中していて、
時間の感覚がなくなっていた。明日は9時の電車でロンドンに行くために、
7時前には起きないと行けないのだった。急いでパブを出て宿舎に戻る。
シャワーを浴びてすぐに寝る。酔っ払っているので寝つきは早かった。
いよいよ明日はロンドンである。

27/01/2001 (Sat)

今日はいよいよロンドンに行く。7時前に起床。急いで支度をし宿舎をでる。
レスターの駅までは徒歩で40分くらいかかった。まだ夜があけきらない街を急ぎ足で歩く。
駅でロンドンセントパンクラス駅までのチケットを学割で買う。
片道19.80ポンドだった。Young Persons Railcardの威力は凄い。
しかし、イギリスの切符の窓口はいつも混んでいるように思う。
駅構内の売店でベーコンのハンバーガーとミネラルウオーターを買い、
9時の電車に乗り込む。この電車はさらに北のノッティンガムを出発し、
レスターを経由して、ロンドンまで行くものである。レスターに来る時もこの電車に乗ったのだが、
その時は夜だったので車窓の風景がどのようであるかは全く分からなかった。
しかし、今日は明るいので道中の田園風景をたっぷりと見ることができた。
基本的に畑もしくは牧草地である。人々は羊や馬などを飼い、
農業を営んでいるのであろう。それと山がないというのが大きな特徴だろうか。
日本で山がないところなど首都圏の中心部くらいだろう。
早起きをしたので眠かったのか、ロンドンに着くまで少しうとうとする。
10時30分にロンドンセントパンクラス駅到着。ここから地下鉄ピカデリーラインで
友人との待ち合わせ場所であるピカデリーサーカスまで向かう。
自動券売機でワンデイトラベルカードというものを購入。4ポンドであった。
このチケットで、今日一日、地下鉄およびバスに乗り放題である。
ピカデリーサーカスには10時50分くらいに着く。地下鉄の駅を出ると
まん前にエロスの像がある。探す必要はまったくなかった。
そこが今日の待ち合わせ場所である。この像は渋谷で言うところのハチ公と
全く同じ役割を果たしており、たくさんの人が待ち合わせをしている。
カメラやビデオを持った観光客も多く、日本人もちらほらと目に付く。
レスターではほとんど日本人を見かけないので新鮮である。
11時過ぎに友人Mが現れ、まずはコベントガーデンに案内してもらう。
コベントガーデンには最先端の服を置いてある店が多いとのことである。
Paul Smithやagnis bなど、日本でも有名なショップが連なっている。
ロンドンでそのような店に入ってもしょうがないので、
友人お薦めのセレクトショップに連れていってもらう。
今週末でバーゲンが終わりであるため、どの商品も値引き率が半端ではない。
ヘルムートラングのニットでオレンジ色のきれいなものを発見。
元値は120ポンドである。それが48ポンドに値下げされている。
色が美しく、サイズもぴったりである。残念なのはすそがリブになっていることだけ。
随分迷ったが結局買うことにする。日本から持ってきた服の頭数も少ないことだし、
無駄使いではないと自分に言い聞かせる。それにしてもコベントガーデンは人が多い。
大道芸人などもおり、歩くのに非常に邪魔である。12時から中華街で昼食を摂る。
この店も友人Mがよく来る店なのだそうだ。安くて、ボリュームがあって、愛想が悪いということだ。
腹が減っているので愛想などどうでもよい。たくさん食べれさえすれば。
牛肉としょうがのどんぶりのようなものを注文。スープもついて5ポンド50ペンス。
実際、そのボリュームは凄いものであった。味も非常に良い。
友人Mには、今日一日お世話になるので、ここの支払いはおごらせてもらう。
お腹が一杯になったところで、いよいよ観光スポットめぐりを開始、
ピカデリーサーカスからピカデリーを西の方へ歩き、
まずは紅茶で有名なフォートナム&メイソンに入る。広い店内に所狭しと、紅茶が置かれている。
今回は土産に紅茶を大量に買ってごまかそうと思っているので、
今度ロンドンに出てきた時にここで買おうと思う。
グリーンパークという公園を横切って、バッキンガム宮殿に行く。
ここはエリザベス女王の家である。鉄格子の門があり、門番がいる。
当然中には入れない。建物自体は、寺院などのほうがかっこいい。
ここからテムズ川の方へ歩き、ビッグベンとウエストミンスター寺院を拝む。
ビッグベンは予想していたものよりもだいぶ大きい。迫力がある。
京大の時計台と比べると高さで4倍、太さで5倍くらいはあると思う。
しかし、だれがあんなに大きな時計を作ろうと考えたのであろう。
テムズ川を渡る。川の水はコーヒー牛乳のような色である。
非常に汚いと言わざるを得ない。鴨川の流れも大雨の翌日はこんな色になるが、
Mによるとこの川は毎日こんな色なんだそうだ。テムズ川のほとりに、
大きな観覧車がある。ロンドンの街並みは全て古い建物で構成されているので、
近代的な観覧車にはとても違和感がある。そこだけ何か変なのだ。
ここからまた地下鉄に乗って、Tower of Londonを見に行く。
高校生の時、XTCというグループのTower of Londonという曲がお気に入りで
よく聞いていたのだが、Tower of Londonというのは、
てっきり東京タワーやエッフェル塔などのようなタワーだと思っていた。
実際に見てみると城のような建物である。大間違いだった。
ここは要塞として作られ、後には監獄や処刑場として使われていたそうだ。
中を見学するには11ポンドもいるのでやめておく。外から眺めるだけにする。
その後は、地下鉄でナイツブリッジというエリアに引き返す。
このエリアには有名な高級デパートHARRODSがあり、周辺には高級ブランドのお店が多い。
HARRODSに行く前に、HARVEY NICHOLLSというHARRODSよりも少し小規模な
デパートのバーゲンを覗く。ここはM曰く、セレクトが非常に良いということである。
確かに、ここのメンズはかなりいい感じで、品数がとにかく多い。
そしてバーゲン期間中であるため値引きも凄い。特に何かを買うつもりはなかったのであるが、
不幸にもジョンスメドレーのニットでかっこいいのを発見してしまう。
これも先ほどと同じで、120ポンドが45ポンドになっていた。
サイズもジャストフィットである。しかもラスト一着である。めぐり合わせのようなもの強く感じ購入。
こんなの日本で買ったら3万円くらい取られると思う。今日のお買い物は大成功である。
土地勘のある人に案内してもらったのが良かったのだろう。
そして、いよいよHARRODSへ。中は、人であふれかえっている。
中はとても広いため全部見ることは不可能。食料品のエリアを少しだけ眺める。
また地下はHARRODSグッズでいっぱいである。
デパートというよりはむしろ観光地といったほうがよいのであろう。
ここでは何も買わない。というか買えない。
HARRODSを出た時点で4時。ここから友人Mの家におじゃまする。
最寄の地下鉄の駅までは、ノーザンラインで15分とかからない。
この辺りは高級住宅街だそうで、日用雑貨が少し割高なのだそうだ。
もうすぐ、別のところに引っ越すということ。
家では、日本食をご馳走になる。本当にお世話になりっぱなしである。
メニューは、鶏の照り焼き、きゅうりとわかめとじゃこの酢の物、
肉じゃが、白菜とちんげんさいのおひたし、冷奴、ご飯である。
すべて美味しい。かなりの量を食ってしまい、「よく食うね」などと言われる。
こんな料理は京都でいても食べたことがないからね。
イギリスに来て食事に不自由している訳ではないが、
多少野菜が少ないかなということを感じていた。この大量の野菜で体が健康になったような気がする。
食事を食べ終えるともう6時。あまり遅くならないうちにレスターに帰らねばならない。
地下鉄の駅までMが送ってくれ、そこからノーザンラインでセントパンクラスに戻る。
辺りはもう真っ暗で非常に寒い。ロンドンはレスターよりも南に位置しているので、
多少暖かいのかと思っていたら、全く同じでした。
カウンターでチケットを買い、18時55分のノッティンガム行きに乗る。
20時10分にレスター到着。ここからまた歩いて宿舎に戻る。
帰りついたのは9時前であった。今日はよく歩いた。
今日は本当にMにお世話になった。観光スポットめぐり、
ショッピング、日本食、全てが完璧でした。ありがとう。
シャワーを浴びると猛烈な眠気が襲ってきて、11時ころに就寝。

28/01/2001 (Sun)

昨日目覚ましをかけずに寝たので、起きたら10時であった。11時間寝たことになる。
金曜から土曜にかけて、パブやらロンドンやらで多少疲れがあったのだろう。
平日は比較的早起きなので、週に一度はこのような朝寝坊の日が欲しいところである。
支度をして12時からの宿舎のブランチに向かう。メニューはソーセージ、
目玉焼き、フライドポテト、そしてマッシュルームである。
このマッシュルームというのが非常においしい。オーストラリアでも
朝食でマッシュルームを食べていたが、あれと全く同じおいしさ。
20個くらい食べる。きのこはやはりおいしい。
食後に実家に電話をする。うちの母親は心配性を人間にしたような人なので
定期的に「元気である」という連絡をしたほうがよい。
昼過ぎにかけたので向こうは夜の9時くらいだったと思う。
両親は今週末に京都に旅行に行っていたようだ。たしかに京都の下宿は
こうしてイギリスに来ている間も家賃を払いつづけている訳で、
いない間に泊まるのは全く構わない。下宿の有効利用である。
どんどん行って欲しい。そして泥棒などが入っていないかを見て欲しい。
今日の午後は先週行きそこなったレスター市博物館に行くことにする。
ここは大学の近くなので歩いて行くことができる。外は快晴でいつもより多少暖かいかもしれない。
はっきりいって、博物館の中身に対してはあまり期待していなかった。
入場料も無料だし。しかし、なかなか見ごたえのある博物館だった。
展示してある内容は雑多であるが、どれも古いものばかり。
イギリスの古い王族がエジプトからみやげとして持ちかえったミイラがたくさんある。
ミイラになっている人もまさか自分が死後数千年経って、
イギリスのある街で、極東の島国から来た人間にしげしげと
眺められるとは思いもしなかったであろう。
ミイラの他にもエジプトから持ちかえった物品が展示されている。
昔のイギリス人はなんでも持って帰ってきた(奪ってきた?)んだなと思う。
またレスター地方は昔から恐竜の化石がよくでる地域で、
恐竜の化石が何体か展示されていた。そのどれもが大きい。
プラキオサウルスなどに代表される草食系のおおきい恐竜である。
これらは大昔に大陸がひとつであった頃(パンゲア大陸)のものであるようだ。
大陸移動説が説明しているように、その後パンゲアという大陸は
プレートの力でゆっくりと今のような形になり、これらの化石がレスターの近くで発掘されたのである。
日本ではナウマン象の化石くらいしか大きいものはなく、
あとは小さい恐竜のものばかりだったと思うので、こんな大きいものを見たのは初めてである。
売店で絵葉書を一枚買う。25ペンス。日本の友人に葉書を出そうと思って
ずっと探していたのだ。これでやっと葉書を出すことが出来る。
こちらでは、どの店にもクリスマスカードのたぐいはいっぱいあるのだが、
単純な葉書がぜんぜんなかったのである。
2時間弱を博物館で過ごした後、大規模ショッピングセンターに行ってみる。
歯磨きとリンスがなくなりかけているのだ、近所の雑貨屋には、
歯磨きはあるがどうもリンスがない。そこでSafewayというショッピングセンターに
行ってみることにしたのである。場所は大学から歩いて10分ほどの所で、
少し郊外になる。広い駐車スペースと広い店内。アメリカかと思ってしまう。
歯磨き、リンス、靴下、アップルジュースなどを買って、家路に着く。
昼頃は空も晴れていて少しはあったかかったのだが、
4時くらいになり、空は曇り、異常に寒くなってきた。
暖かいと思ってニット帽と手袋を持ってこなかったので寒さがこたえる。
足早に宿舎に戻り、昨日およびおとといの日記を一気に書く。
やはりその日の出来事とはその日の内に書いておかないと忘れる。
特に一昨日の日記は何かが抜けている気がしてならない。
その後は5時30分からの宿舎の夕食へ。今日の夕食はおいしくなかった。メニューは、
豚肉の茹でたものと茹でた根菜類である。
野菜を食わなければと思っているので根菜類をいっぱいとったものの、
茹で加減が酷くて残してしまった。昨日美味しい日本食を食べた報いか?
友人Mによると、イギリス人の味覚を感じる感覚というものは
他の国の人間より20パーセント程度劣っていることが科学的に証明されているそうだ。
今日の料理によって、科学的にも経験的にもイギリス人の味覚を信用しては
ならないことが証明されてしまったようである。食後はシャツの洗濯をする。
夜は明日のLester教授とのdiscussionで何を話すかを考えてみる。
考える材料が多すぎてうまくまとまらないので、
コーヒーを入れようとキッチンに行くと、スペインからの留学生ミッティが夜食を作っている。
ウインナーサンドである。お前も食えと言う。今日の夕食が酷くて腹が減っていたのでご馳走になる。
彼がスペインから持ってきたというウインナーはおいしかった。
彼みたいに自炊をすれば、宿舎の飯のうまいまずいに関係なく生活できるのになあ。

29/01/2001 (Mon)

今日からまた1週間が始まる。こちらでは土日をしっかりと休むので、
1週間の始まりをきちんと感じる。学部の時代に戻ったような感じである。7時30分起床。支度をして朝食を摂り、8時20分に宿舎を出る。8時50分に大学到着。
今日はLester教授、Emmaとのディスカッションがある日だ。
先週、プロットを大量に出して、深く考えることを後回しにしていたので、
今日の午前中はその作業に没頭する。朝のカフェブレイクもパスして没頭。
出したプロットを眺めることを続けていると、いくつかの特徴が見えてきた。
1点目は、Open/Closed Boundaryの位置には季節依存性がありそうだということ。
もうひとつはその中心がMLT12時から2時間程ずれているということ。
それから、IMF Bzに対する依存性は明らかにあるということ。
それに対して、Byに対する依存性はこのプロットからは分からないということ。
以上が自分で考察できることであった。これを適当に文章にまとめておく。
この作業で午前中は全てつぶれた。昼食はウインナーのサンドイッチ。
腹が減っていたせいか、こちらでいままで食べたサンドイッチのなかで
もっとも美味しかった。昼食の席で、ロンドン観光の話をする。
バッキンガム宮殿、ビッグベン、ウェストミンスター寺院、Tower of Londonをめぐり、
コベントガーデンで服を買い、HARRODSにも行ったことを報告すると、
「それはハードなスケジュールだったなあ」みたいなことを言われる。
自分は案内されるままに楽しんでいたのでそれ程ハードには感じなかったのだが。
Steveに「今日の午後、MarkとEmmaとディスカッションするねん」と話すと、
「何時から?」と聞かれる。14時からであると答えると「俺も行く」とのこと。
願ってもないことである。いろいろな人に意見をもらえばもらうほど、
この滞在が意義深いものになる。昼食後は、書かなければならないメールを
いくつか書く。AP-RASCの件で前田先生や杉野さんにたずねごとをしたり、
データの件で極地件の行松さんに頼みごとをするなどなど。
14時からLester教授、Emma、そしてSteveとミーティング。
世間話を少しした後、さっそくEmmaの結果と自分の結果をつき合わせてみる。
ぱっと見た感じ、両者による統計結果はかなり似た特徴をもっているようである。
Lester教授は「interesting」を連発するが、外国人の「interesting」ほど
当てにならないものはない。とりあえずなんでも「interesting」と言うのだ彼らは。
それでも、北半球と南半球では季節が逆なのにもかかわらず、
似たような特徴が得られていることは確かである。これは評価していいことだろう。
彼女が北半球を担当し、自分が南半球を担当する。なんだか作詞と作曲を別の人が
やってそれをくっつけてひとつの曲にするようなもんである。
去年、友人たちと自分たちで曲を作って遊んでいたが、
そのときも自分が曲をつくり友人が詞を書くということをやっていた。
あの時は、単に自分が詞が書けなかったからそうしたのだったが。
ずっとプロットを眺めていたSteveが、「季節を全部足し合わせて、
一枚のプロットにするべきだ」と言う。両半球でそれぞれ一枚の図にして、
最終的にはcross correlationを取ってみたらどうかということらしい。
またLester教授は「個人的には夜側の季節依存が見たいのでそのための
プロットを作って欲しい」と言う。それは簡単なことである。
そして、次の一手として、統計と並行する形で、ケーススタディをやることになった。
99年の夏と冬における双方のレーダーの観測を比較してみようということである。
最近統計解析に飽きてきていたので、自分としては何の問題もない。
Emmaがレスターのレーダーのデータを、自分が昭和基地のレーダーのデータを
プロットしてみて同じ時間にスペクトル幅の広いエコーが観測されている
イベントをピックアップすることになった。次のディスカッションは、
Steveの都合で月曜日から火曜日に変更。Lester教授、Steveと話をする前に、
Emmaとローカルにうち合わせをすることにした。おのおので良い観測をリストアップし、同時観測イベントのリストを作ってしまおうということである。これは今週の木曜日の午前中にやることになった。
これでまた仕事がいっぱいできたことになる。この仕事を片付けると
次のミーティングが来る。こちらの仕事のシステムはそんな感じである。
処理能力と締め切りの感覚がちょうどよければ、流れに乗っているだけで仕事がすすむ。京都での自分で考えて、自分で解析して、自分で評価するというしんどい作業のことを考えると随分と楽である。
こちらに居る間は、この流れに身をまかせてみようと思う。
ディスカッションの後は、午後のカフェブレイクへ。
今日の話題は、ポスドクのDarrenがEISCATのキャンペーン観測に行った時の話。
とにかく退屈でストレスの溜まる作業だそうで、今まで一度も楽しかったことがないそうだ。
ストレスのあまりチョコレートを毎日何箱も食べてしまい、逆に気持ち悪くなったりしたそうである。
宇宙研での衛星運用でも同じようなことが言えるなあと思う。
1週間も運用ばかりやらされていると同じ種類のストレスが溜まる。
自分が行っていた時もコンビニでなんやらかんやら買ってきては食べていた。
そこらへんの感覚は世の東西を問わないみたいである。
休憩の後は、さっそく1999年の観測をざっと見る作業を始める。
夏の昭和基地の観測は非常に良いデータが多く、ほとんどの日が同時観測イベントの候補になりそう。
冬の観測は夏に比べるとエコーの量は少ないが、
それでも一月のうちの半分くらいは使い物になるだろう。
これだけ良い観測があればいくつかの同時観測イベントも見つかるはずである。
問題はその同時観測で何を語るかということである。
自分としては「良く合っているね」プラスアルファの何かを提示したい。
南北半球でまったく調和的でないほうが逆に面白いのかもしれないなどと不謹慎なことを考える。
帰る前に、名大STE研の野澤さんからEISCATデータ利用申請の更新をしてください
というメールが来ていたことを思い出す。WWWで手早くできるものなので、すぐにやってしまう。
研究内容のあらましを書く部分に少々てこずるが20分くらいで更新完了。
これで2001年度もEISCATのデータを使わせてもらうことができる。
5時40分に大学をでる。今日は日が暮れてもあまり寒さを感じない。
厚着をしてきたからであろうか。宿舎にもどり夕食へ。
今日の夕食は当たりであった。チキンとジャガイモの煮込みと茹で野菜。
チキンが非常に美味しかった。こういう煮込み系の料理に関しては、
イギリスの料理人を信用していなかったのだが、今日に関してはすばらしかった。
食後はシャワーを浴びて、今日のまとめをする。

30/01/2001 (Tue)

今日も7時30分起床。8時からの朝食に行き、大学へ向かう。
今日は小雨が降るような天気である。傘を持っていないので、
ウインドブレーカーのフードをかぶって歩く。
こちらに来てから何度か雨が降ったがいつも小雨である。
傘をさしている人はほとんど居ない。みんなフードをかぶって歩いている。
いちど雑貨屋で傘を買おうとしたが売っていなかった。
傘をさすという文化がないのだろうか。8時50分大学到着。メールのチェックをする。
昨日書いた仕事関係のメールの返事がそれぞれについて届いている。ほっとする。
これらのメールが来なかったら、今日はすることがなくなっていた。
メールの処理を終え、極地研から昭和基地のレーダーのデータをとってくる
作業をする。これは割と骨の折れる仕事である。バッチ処理にできない部分が
いくつかあるので定期的に手を動かさなければならない。
並行して、夏に東京である国際学会AP-RASCにアブストラクトを投稿する作業をする。
投稿方法は、かなり面倒くさいもので、メールでアブストラクトを送り、
同時に郵便でも送らなければならない。アブストラクトは既に書いていたので、
それをプリントアウトし、細部にミスがないかをチェックする。
どうやら大丈夫のようだ。Submission formを埋めて、メールにアブストラクトを
添付し、事務局に送りつける。同時に2部のcamera-readyな原稿を郵便で送る。
こちらからで送るので、郵便のほうは少し遅れるということをメールに書いておいた。
郵便のほうのアブストラクトが遅れてもいいということは前田先生に確認して
おいたので大丈夫であろう。
研究室秘書のPatriciaさんに封筒を渡すと午後に出しておいてくれることになった。
ここで朝のカフェブレイク。今日は人が少し少ないか。
ポスドクのHinaとIAGAの話をする。彼女は夏にベトナムであるIAGAに行くのだ。
会期が2週間という長期にわたるために、どこで観光的な活動をするかを思案中だそう。
IAGAに行くので、夏に東京で行われるEISCAT Workshopには行かないそうである。
レスターからはLisa、Sophe、Emma、DarrenあたりがEISCAT Workshopに行くようだ。
Darren以外は若い連中。大体のポスドクはEISCATからSuperDARNへテーマを
少しずつシフトさせつつあるようで、参加者はDarrenだけだそうだ。よく、
東京で観光するにはどこがいいかと聞かれるが、すぐにはどこがいいのかわからない。
ロンドンでビッグベンやウエストミンスター寺院などのとんでもなく古い
建物を見てしまうと、「東京タワーがおすすめだ」などとは口がさけても言えない。
逆に新宿副都心などのサイバーな感じに、彼らは興味を示すのかもしれない。
Lester教授が東京に来たときも、都庁にいったそうだし。
休憩の後は、データを持ってくる作業と並行して、サマリープロットをプリントアウトする作業をする。
このサマリープロットで良いイベントの目星をつけようとしているのである。
極地研のWWWサイトでプロットを表示し、ひたすらプリントボタンを押す。
人間性を消し、自分はロボットであると思い込んでひたすら単調な作業をする。
いかにロボットになりきるかが勝敗を分けるところである。やっているうちに、
ランナーズハイにも似た感覚になってくる。プリンターズハイってやつか。
調子に乗っているプリントアウトしすぎて、プリンタが紙詰まりを起こす。
Hinaに手伝ってもらい復旧作業。プリンタが詰まるのは万国共通のよう。
昼食は、この前食べて好印象を持ったウインナーとベーコンのサンドイッチ。
美味しいのだが、他のものに比べて倍くらいの値段がする。300円くらい。
しかし、昼飯くらいしかお金を使うことがないので、これくらいの贅沢は
まあいいとしよう。昼食の席でSteveにリバプールへ行くにはどんな電車で
行けばいいかを聞く、どうやらシェフィールドというところで乗りかえる
必要があるようだ。時間は3時間くらいかかる模様。日帰りは無理だなと思う。
昼食後も、データを取ってくる作業とプリントアウトを続ける。
今日はどうもこういうサルでもできる作業の日のようだ。そういう日もあっていい。
午後のカフェブレイクでの話題はどうやら各自が飼っているペットの話のようだ。
ここらへん、はっきりいって確証はない。それくらい、バカ話をしている時の彼らの
英語はわからない。こんな状態の時に、話をふられるとどう答えていいのやら
途方に暮れてしまう。ジェスチャーなどからできるだけ推論するようにしているが、
わからないときはあきらめるようにしている。無理なものは無理なのだ。
将来このバカ話についていける日がくるとは到底思えない。
休憩の後は、データを取ってくる作業が大体終わったので、
こちらのプロットルーチン「Go」を使ってプロットしてみる。
いままでは、「Go」を使う時はいちいちコマンドを手打ちしていたが、
今日はバッチ処理の方法を考えてみる。マニュアルを読んでいたら
なんとなく分かってきた。本格的な作業は明日にしようと思っていたが、
面白くてずっとやっていたら、日付を入力とし、ポストスクリプトファイルを
出力とするシェルスクリプトが完成。この作業が今日中にできたのは非常に大きい。
明日は、めぼしいイベントをサマリープロットで探して、
きちんとしたプロットを作る作業をしよう。ここで今日も打ち止め。
5時50分である。急いで宿舎に帰る。
今日の夕食はいわゆるミートパイというやつである。とんでもなくまずい。
ここの夕食には、地雷のように激マズメニューが存在する。
自分は毎夕食をここで摂る為、もうすでにいくつかの地雷を踏んだ。
今日からこの日記を使って、激マズメニューの発生頻度分布の
統計をとってみることにしようと思う。どの曜日に地雷が埋まっているかが
わかれば回避することができる。夕食後は下着の洗濯。
もう洗濯も何度かしたので慣れたもんである。

31/01/2001 (Wed)

今日も7時30分起床。今日は少し眠いか。朝食を摂り大学へ向かう。
大学へは8時40分くらいに到着。メールをチェックする。
今日はすぐに返事を書かなければならないようなものは来ていない。
処理も短時間で終わる。さて仕事にかかるか思い、メインのSGIマシン
にログインしようとするとできない。何度やってみてもだめなものはだめ。
最初は自分が使わせてもらっているWindows NTマシンがおかしいのかと
思ったが、ここから他のところへは全く問題なくログインできる。
ネットワークにもきちんと繋がっているようである。
おそらくメインのSGIがこけているのだろうと判断する。
そうこうするうちにJackyが来て、やっぱりメインのSGIがこけているということが判明する。
こうなってしまってはなんの仕事もできない。
京都でも自分が研究室に入ってきた頃は一台のSunのマシンで仕事をするのが
当たり前だった。中心となるマシンがこけると何もできないのである。
今では、仕事も幾つかの能力の高いマシンに分散しリスクが少なくなっている。
これは非常にいいことだ。Jackyによると、
「エンジニアのNigelが直そうとしているので、数時間で大丈夫だと思う」
とのことである。この時間を有効利用し、郵便局に行くことにする。
友人に葉書を書いていたのだが、なかなか投函できなかったのである。
駅の方の郵便局に行く。エアログラムを貼り、40ペンスの切手を買い投函。
1週間もあれば着くだろう。郵便局から帰ってもまだ計算機は復旧せず。
やることがないので、宿舎にもどり宿泊費の清算をしようともくろむ。
往復50分くらい歩くことになるが、平日しか事務所が開いていないので、
行く暇がないのだ。今日は良い機会かもしれないと思う。
歩いて宿舎までもどり事務所に赴く。しかし、人がいない。
なんと今日に限って事務所が閉まっているのだ。いつも開いているのに。
結局清算できず。往復50分歩いた分のエネルギーが無駄になった。くやしい。
大学へ戻る途中で、Steveに会う。彼はこれからPPARCの研究員の更新面接だそうだ。
ロンドンまで行くと言う。去年は一次専攻(200人から20人)には残ったが、
二次専攻(さらに半分)で落ちてしまったそうだ。
今年も一次は突破していて、今日が二次専攻なのである。
このお金が取れれば、今後5年間の生活が保証されるため気合が入っているよう。
散髪もして、万全の態勢らしい。でもピアスは付いたまま。外さなくていいのか。
「Good Luck!!」と言って別れる。大学に戻るともう昼過ぎ。
エンジニアの皆さんのお陰で計算機は復旧していた。
今日は、きのうリストアップしたイベントのプロット作成が主な仕事である。
プロット作成はバッチ処理にすることが出来て、30分くらいで完了。
これをプリントアウトしていく。あまり一気におくると紙づまりを起こすという
ことが昨日わかったので、ゆっくりとプリンタへ送る。
ひとつひとつのプロットも結構容量があるのでなかなか作業は進まない。
午後に京都の津川とネットワーク越しにtalkをする。
彼らは5日後に修士論文の発表会を控えておりその準備に余念がないよう。
修士論文を出しても、なかなか「さあ遊ぶぞ」という風になれないのがしんどい
だろうと思う。発表会やら書類やら試問やら、
次から次へとやらなければならないことが出てくる。
今思えば、春休みなんてほとんどなかったんじゃないだろうか。
特に博士課程に進む人間は卒業旅行に行く暇すらない。
なんとかならんもんか、京都大学。AP-RASCへの投稿についても少し話す。
津川も前田先生がコンビナーを努めるセッションに出したようだ。
二人とも前田先生からのメール攻撃によって投稿したので当たり前だが。
参加費が2万円とは高いなあということを話す。講座から出るとは到底思えない。
15分くらいでtalk切り上げ。カフェブレイクまで作業を続ける。
午後のカフェブレイクの後は、出したプロットをチェックし、
面白そうなイベントをさらにピックアップ。なかなかいっぱいあるようだ。
99年のデータについてこの作業を終えたところで今日は終了。
明日はこのプロットを元にEmmaとうち合わせをすることになる。
良い同時観測例が見つかることを祈る。5時50分に大学を出て、早足で変える。
今日の夕食は、リブの煮込みとライス。まずい。
昨日踏んだ地雷ほどではなかったが、美味しくはなかった。
リブと聞いて少し喜んだが、骨ばっかりで身がほとんどないじゃないか。
昨日まずかったから今日はおいしいだろうと期待していたのだが。
うまくいかないものだ。

01/02/2001 (Thu)

今日も7時30分起床。朝食を摂り大学へ向かう。今日は霧が濃い。
100メートルくらいしか視界がない。ここ数日は、小雨が降ったり、
霧が濃かったりであまり良い天候ではない。これがイギリスの天気ってやつか。
9時前に大学到着。メールの処理をしていると、
Emmaがイベント選びのうち合わせをするべく部屋にやってくる。
うち合わせは広い机のある地下のコンピュータルームでやることにする。
自分の方では50個ほどイベントをリストアップしていたが、
彼女もかなりの数のイベントをリストアップしていた。
自分のリストを元にして、レスターのレーダーのデータと照らし合わす作業をする。
驚くことにほとんどのケースで良い共役性を見て取ることができる。
北半球のレーダーのエコー領域が赤道側に移動すれば、同じタイミングで
南半球のレーダーのエコーも移動する。こんなに対応が良いとは思っても見なかった。
学会などで聞く共役点観測の話などは細かすぎて消化不良になってしまうことが多い。
そんなこともあって、一般に共役点観測の話というものはすっきりしないものなのだ
と思っていたが、今回我々が解析しようとしているようなたぐいのイベントに関しては
なんとかすっきりとした話に持って行くことができるのではないだろうか。
最終的に、4ヶ月分のデータから30個ほどのイベントを抽出することができた。
上出来といっていいと思う。さらにこのなかから13個の特徴的なイベントを
抜き出し、以降はこれらを集中的に見ていくことにする。
昼間側を5例、夜側を5例。そして逆に対応があまり良くないものについても
解析を行ってみることにする。それが3例。十分な量である。
また、昼間側のmagnetopauseにおけるFlux Transfer Event(FTE)の投影であると
思われるイベントもいくつか得ることができた。
これについては、FTEについて何本も論文を書いている
Steveに見せてみて方針を得ようということになった。
選び出した13例について、共役性の高いビームを中心にプロットする仕事を
火曜日までにやっておくことにしてうち合わせは終了。
2時間程やっていたことになる。実り多き作業であった。
昼食はウインナーのサンドイッチ。さすがに飽きた。
Steveに昨日の面接はどうだったかと聞く。まずまずできたと思うとのこと。
それはよかった。後は神のみぞ知るということなのだろう。
午後は、午前中に選び出したイベントのプロットを作る。これはすぐに終了。
ここからまた新しい仕事を始めてみることにする。
昭和基地のレーダーのデータを用いて、IMF Byに対してどのように
昼間側のプラズマの流れが異なってくるのかを統計的に明らかにしようとする。
特に季節依存が見たいと思っている。
これは先週のセミナーでSteveがレスターのレーダーを使ってやっていたものの
あからさまなパクリである。彼の統計では、電離圏プラズマ対流のIMF Byに対する
依存性は冬には消失してしまうという統計結果が得られていた。
さて南半球ではどうなるだろう。この統計作業は、
京都の計算機を使ってやることにする。プログラム群をこちらに引っ張ってきてプログラミングを書く。
休憩をはさんで5時くらいまでせっせとやる。
細部までチェックし、もうバグはないだろうと判断し、京都に持っていって
コンパイル。一度で通る。素晴らしい。しかし走らせるとうまく走らない。
まだどっかにバグがあるのだろう。まだまだプログラムも未熟ですな。
今日の内には修正はできないと判断し、この仕事は明日に持ち越しにする。
5時40分に大学を出て宿舎に帰る。帰りは小雨が降っており冷たい。
明日くらい一度晴れて欲しいなあ。今日の夕食はカレーである。
カレーの日は安全。夕食後、シャワーを浴び、今日の整理をする。
昼間にSteveにもらった論文に目を通そうとするがどうにも眠い。
やはり週も後半になってくると夜眠くなるのが早い。

02/01/2001 (Fri)

8時起床。今日は一昨日払い損ねた滞在費を宿舎に払い込もうと思っていたので、
9時に事務所が開くのを待って大学に行くつもり。朝食もゆっくりと食べる。
9時に事務所が開いて、滞在費を払う。週73ポンドだから残り5週で365ポンドだと
思っていたら、292ポンドで済んだ。領収書を良く読んでみると
どうやら1週を8日で計算している模様。こういうシステムなのか間違いなのか。
いずれにせよ自分の損にはなりえないので、そのままにする。
結局6週間の滞在で365ポンドで済んだ。大体7万円弱だろうか。
朝夕の食事がついているので非常に安いと言っていいだろう。
9時30分に宿舎を出て大学へ向かう。今日も曇りがち。先週末以来晴れ間がない。
10時頃に大学到着。すぐにカフェブレイク。ブレイクの後は、昨日の内に
終わらなかった統計プログラム作成の続き。幾つかバグを取り除いたら、
問題なく動いた。午前中の内に統計処理も終わる。非常に能率が良かった。
昼食はサンドイッチとパイを食べる。サンドイッチだけではどうも夕方に
腹が減るので今日からパイも食べることにする。
午後は統計の結果をプロットする作業。できたプロットを見てみると
視線方向の速度はIMF Byの正負によってきれいに逆転している。
この傾向は全ての季節において顕著であるように見える。
これは北半球での結果と違うところか。残念ながらSteveの結果を支持するものではないようだ。
今後は、冬のデータをさらに追加し、分布のmean,median,standard deviationなどを計算して
最終的にプロットを仕上げることになるだろう。
ここで午後のブレイク。「明日、Markとサッカー見に行くねん」ということを
皆に告げると、「Markが騒いでも気にするな」とか
「Markとはサッカーの議論はするな」とかいろいろ言われる。
それだけ彼はサッカーに対して熱い男なのだろう。
こちらとしてはサッカーに関する細かい議論をしようにも、英語力がないので全く問題ないのだが。
ブレイクの後は週に一度のGroup Talkと呼ばれるセミナー。
4時からなのだが、スタッフ集まってやっているSuperDARNのオペレーションに
関する会議が長引いて、開始が遅れる。4時20分開始。
今日のレポーターは、Stan,Emma,Gabbyの3人。この講座の長である
Stan Cowleyの木星のオーロラに関する理論研究の話から始まる。
メインのオーバルのさらに外側にある細いリングに関する話。
木星の自転速度やらIoの自転速度やらいろんなパラメータが出てきて、
式をごちゃごちゃといじる。案の定途中からおいていかれる。
Emmaの話は、自分は一度説明を受けているので非常に分かりやすかった。
スペクトル幅の広いエコーの分布とオーロラオーバルのモデルを
比較して、「今一つ合いません」というのが結論。
Steveが「モデルはあくまでモデルだから」ということをコメントする。
最後はGabby。APLのMap Potentialモデルのソフトのアップデートをしました
という報告。この手法は論文などでよく用いられているが、
実際の解析者たちの評判はあまりよろしくない。
Gabbyの報告に対して、確認の質問などがいくつかでるが、
Gabbyもあんまり良く分かっていないみたい。良く分かっていないソフトは使うべきではないんだろう。
実際レスターの人々はほとんど使わない。セミナー終了後は、パブへ。今日もClarendonというパブ。
Darren、Hina、Nigelと一番乗りで行く。今日も混んでいる。
彼らがいつも座るコーナーの席も埋まっていたが、プレッシャーをかけつづけて客をどかせる。
次々に研究室のメンバーが現れる。今日はスタッフ陣は少ない。
Tim Yeomanに明日サッカーを見に行くという話をすると、
「ラグビーもどうだ」と言われる。彼はラグビーの熱烈なファンなのだ。
どうやら来週の火曜日にカップ戦のようなものがナイターであるらしい。
チケットはどうすればいいのかをたずねたら「心配するな。あるから」と言う。
これはチケットをやるから行って来いということなのか一緒に行こうということなのか。そこらへんは不明。いずれわかるでしょう。Timの彼女もラグビーが好きで、
どこが好きなのかと問うと、「チープなところ」と言う。
どうやらラグビーのチケットはサッカーに比べて幾らか安いようだ。
Timに「南極には行かないのか」と聞かれる。
「今、同級生が一年半の予定で行ってんねん」と答えると、
その長さに一同びっくりしていた。確かに長い。自分のイギリス滞在の12倍の長さである。
KatharynやHinaに日本の早口言葉を教えてくれと言われ、
「隣の客は良く柿食う客だ」というやつを教えると、何故か大爆笑。
そんなにおもしろいか。イギリスの早口言葉も幾つか教えてもらった。
それらの早口言葉を言っては、大爆笑している。あやうくイギリス人アホ説を唱えるところだった。
もっと早口言葉はないかと聞かれるが、うまく思い出せない。
何せ酔っ払っているのでうまく頭がまわらないのだ。やっとの思いで、
「赤パジャマ青パジャマ黄パジャマ」というやつを思いだす。これも大爆笑。
これが紳士の国で有名な英国のお笑いのトレンドなのか。
大喜劇俳優チャップリンを生んだ国とはとうてい思えない。
メンバーの中に知らない人がいると思っていたらその人はDarrenの奥さんだった。
Darren夫妻は2度日本に来たことがあり、そのたびにたくさんの観光をしている。
Darrenの奥さんと日本のことについて話す。
とにかく日本は素晴らしかったと言う。寿司がとにかく美味しかったとのこと。
自分は生の魚が食べられないので寿司もあんまり食えないということを言うと、
「もったいない、あんなにおいしいのに」と言う。そうとう日本食が好きらしい。
寿司とか焼き鳥とか照り焼きとか、よくそこまで覚えているなと思う。
今日は、11時にパブが閉店するまでいた。飲んだビールは5パイント。
ちなみにお金は一円も払っていない。またただ酒をいただいてしまった。
パブを出ると、Darrenが「ハンバーガーを買って帰ろう」と言う。
日本だったら確実にラーメンに行くところである。
何も食わずにビールばっかり飲んでいるのでみんな腹は減っているのだ。
近くのハンバーガー屋でチキンバーガーを買う。
みんなそれぞれの家に帰って食うのかと思っていたら、
Darrenが「うちに来て食っていけ」と言う。彼の家も近所なのだ。
みんな大学の近所に住んでいる。これは京大と非常に似ているところ。
5人程でDarren邸へ。Steveの家よりきれいだ。
内装も全部自分たちでやりなおしたそうだ。
ハンバーガーを食べ、出してもらったコーラを飲む。
猛烈に腹が減っていたので異常に美味しかった。
12時30分くらいにDarrenの家を出る。宿舎までは徒歩5分。
帰ってシャワーを浴び、即就寝。

03/01/2001 (Sat)

9時起床。昨日ビールを飲んで熟睡したので土曜日にしては早起きだった。
今日はLester教授がプレミアリーグを見に連れていってくれる日である。
朝から少し興奮気味。プレミアリーグの観戦ガイドブックなどを読んで
一人でニヤニヤしている有様。アホである。10時過ぎに電話のベルがなる。
「Hello Mr. Keisuke Hosokawa ?」とか言うので最初は「誰だ?」と思ったが、
声色を良く聞いてみると父であった。非常用のために宿舎の部屋の電話番号を
教えておいたのである。こちらの状況などを手短に話す。
両親もこのインターネット日記を読んでいるようでおおよそは把握している様子。
14時に大学のカフェテリアでLester教授と待ち合わせをしているので、
12時からのブランチを食べて大学へ向かう。14時にLester教授がやってくる。
ここから歩いてスタジアムへと向かう。道々サッカーの話をする。
研究室の学生の人々から「Markとサッカーの議論はするな。危険だから」と
言われていたが、こちらもある程度の知識はあるので楽しい会話だった。
4-4-2と3-5-2のどちらが本当に攻撃的なのかとかいうたぐいの話である。
昨日、日刊スポーツのWebでガンバ大阪の宮本のプレミアリーグウエストハムへの
移籍が流れたという報道を目にしていたのでそれについても話をした。
14時30分くらいにスタジアムに到着。Lester教授の息子のシーズンチケット
を使って入場。なんで白人であるLester教授の息子が日本人なのか受け付けの人も
びっくりしていたが、なんの問題もなく入場できた。
コーヒーを買って、いよいよスタジアムの中へ。Lester教授のシーズンシートは
ゴールの真裏である。観客席の勾配がきついため
グラウンド全体をきちんと見ることができる。
また、日本のようにフィールドと観客席の間にトラックがないので非常に近く感じる。
入場した時点ではまだ観客の入りは今一つ。
ただ、バックスタンドに陣取っているチェルシーのサポーターは
レスターシティを罵っていると思われる掛け声を大声でがなっている。
それをかき消すためかどうかはわからないが、大音量の音楽がかけられている。
どうやらこのへんの席はシーズンチケットを持っている常連の人たちが
いるエリアらしい。Lester教授のところにも鼻の赤いおっさん達が、
「よう、調子はどうだい」といった感じであいさつにやってくる。
普段はレスター大学宇宙空間物理学研究室教授のMark Lesterも
その人たちと話す時は、フットボールが好きなただのブルーカラーのおっさんである。
そのおっさんたちに、「こいつは日本でサッカーをやっているんだ」と
紹介される。おっさんたちは、やはり日本というとゲイリーリネカーを
思い出すようだ。彼はレスターの誇りなのだ。残念ながら名古屋グランパスでは
ほとんど活躍できなかったが、今はイギリスで一ニを争う人気解説者であるらしい。
それにしても、鼻が赤いおっさんの他にも、鼻の赤くないおっさんとか、おばちゃん
とか若い人とか子供とかいろんな世代の人がいる。
日本ではサッカーというのは若い人が見るもんだという認識があるが、
ここではだいぶ様子が違う。あるおっさんに「いつからサッカー見ているの?」
と聞いたら、「戦争の翌年だから、1946年だな」などという。どんだけ昔やねん。
15時の試合開始までに観客は超満員。すごい迫力である。
地割れのような拍手に迎えられて選手が入場。一人一人の紹介には
割れるような拍手でこたえる。ここらへんの作法は、
日本代表の試合で鍛えているので問題なくクリア。
適当に「うおー」とかいって拍手をしていればいいのだ。
今日の対戦相手はチェルシーである。現在リーグ6位。レスターシティが
勝ち点1差の8位なので今日勝てば順位が逆転する。
チェルシーには元イタリア代表ジャンフランコゾラがいる。
背番号は25である。実物は思っていたよりもだいぶ小柄。
本物のゾラである。初めてラモスやカズを見たときも相当感動したが、
今回はそれ以上。ちょっと泣きそうになった。
また、レスターシティには同じく元イタリア代表のマンチーニがいる。
こちらは背番号10である。Lester教授によると彼はレスターで選手としての
キャリアを終えるそうである。Lester教授の手前もあって、今日はレスターシティを
熱狂的に応援することにする。いよいよ試合開始。
序盤はチェルシーペースだった。ゾラをトップ下において、
ひたすら真ん中から責める。やっぱりゾラはうまい。
トラップひとつにしても、何か面白いことをする。
テクニックが割と雑なイングランドの選手の中に混じるとそのやわらかさが
いっそう際立つような気がする。
しかし、他のフォワードが今一つで得点にはならない。
レスターシティのディフェンスラインはかなりかたい。
特にセンターバックが競り合いに強い。
真ん中から責めてもなかなか点を取るのはむずかしそう。
それにしても、Lester教授がうるさい。審判の判定一つ一つに大声で文句を言う。
たえず何か叫んでいる。大学教授が「死ねバカ審判」とか言うか普通。
自分も会場の雰囲気に合わせて、大声を出す。
日本代表の試合に一喜一憂してきたキャリアがものをこういうところでものをいう。
しかし、英語で悔しがるというところに多少の不自由さがある。
途中から面倒くさくなって、日本語で一喜一憂することにする。
前半20分くらいから少しずつレスターシティのペースになってくる。
ボランチの選手がとても素晴らしい。長髪を振り乱して走り回り、
コースを消し、パスカットし、決定的なパスも出す。
とても気に入ってしまい、この選手の動きを追うことが多くなる。
そして、その選手からサイドへ良いボールが出て、
センタリングから美しいヘディングシュートが決まる。
スタジアムは再び地鳴りのような騒ぎになる。ファインゴールだった。
得点の後は再びチェルシーペース。しかし、ボランチと
センターバックが頑張りうまく決定的な場面をつぶす。
しかし、このセンターバックは守備はうまいが、展開力がない。
逆サイドが開いているのに、なかなかパスを散らせない。ボカーンと蹴ってしまう。
最終ラインからもっと左右にさばければもっと相手も嫌がるだろうにと思う。
やはりイングランドのサッカーは前へ前へと急ぐ傾向が強い。
前が詰まっているのにサイドも変えずに突っ込んでいってボールを取られたりする。
そういうプレーに対して観客も「Nice Challenge」といって誉める。お国柄か。
日本のサッカーが横へ横へともっちゃりしているのとは対照的である。
ピンチも何度かあったが、前半はなんとか1点リードで折り返すことができる。
ハーフタイムの後、後半開始。チェルシーはなんとゾラを引っ込めた。
そのかわりにユーゴかクロアチアのジョカノビッチという選手を入れる。
名前はなんとなく聞いたことがあるような気がする。
後半はほとんどの時間がレスターのペースだった。
やはりボランチの選手が素晴らしい。観客の声援を聞いているとどうやら
この選手の名前はロビーサベージというらしい。それにしてもすごい運動量である。
かなり決定的なチャンスもあったが得点にならずに、後半30分を迎える。
この辺りでマンチーニが交代でピッチを後にする。
マンチーニが居なくてもボランチのロビーという選手がボールを散らせるので
大丈夫だと思っていたら、ロビーは残り15分あたりからばてて動かなくなった。
センターサークルのあたりをうろうろしているだけである。さすがに動きすぎたのか。
ここでなんとカウンターから同点に追いつかれてしまう。一同静まる。
マンチーニはもういないし、ロビーとやらはばてて動かないし、
これではもう一度突き放すのは不可能だと思っていたら、オフサイド気味の
カウンターから1点取る。たぶんあれはオフサイドだったと思う。
しかしゴールは認められた。Lester教授の機嫌もなおり、大喜び。
最後の10分はかなり攻めこまれたが、向こうに決定的な仕事をする人間がいないので、
得点にはならなかった。そのまま2-1で勝利。教授と握手をして勝利を喜ぶ。
スタジアムから出て大学へ向かう。Lester教授は上機嫌。
「今季のベストゲームだった」と言う。
ボランチの選手はやはりロビーサベージという名前で、ウエールズ代表なんだそうだ。
どうりでうまいと思った。レスターシティは彼のチームである。
京都サンガにとっての遠藤みたいな感じである。
大学で教授と別れ宿舎に帰る。今日は夕食には間に合わなかった。
昨日のハンバーガー屋でハンバーガーを買って食べる。
土曜日はこのあたりの店はほとんどが休みで、食事をするのもなかなか難しい。
それにしても今日のサッカー観戦は素晴らしかった。まだ興奮している。
そんなことで今日は日記に試合の詳細まで書いてしまった。
こんなの誰も読まないだろうな。

04/01/2001 (Sun)

今日はロンドンの大英博物館に行く予定なので休日にもかかわらず9時に起きる。
窓を開けて外を見るとなんと雨である。それもこれまでのような霧雨ではなく、
本格的な雨。大雨と言ってもよいだろう。これは困ったことになった。
傘がないのである。井上陽水に「傘がない」という曲があるが、
まさにそんな境遇である。レスター駅までは歩いて40分くらいかかるので、
この雨の中を行くとすればずぶ濡れになってしまう。
一応支度だけをして、雨が小降りになるのを待つ。
10時前に雨が少し弱くなる。宿舎を飛び出し駅へ向かう。
途中で雨がまた強くなってきたので、ダッシュする。
最近歩きまくっているので心肺機能が強化されたのか、
走ってもあまり息が上がらない。これにはびっくりした。10時30分に駅に到着。
Young Persons Railcardを使って学割チケットを買い、ホームへ向かう。
ロンドン行きは10時58分発である。少し時間があったので、売店でパンとスニッカーズと水を買う。
待合室でパンを食べる。遅めの朝食である。2分程遅れて電車がホームに入ってくる。
となりに立っていた東南アジア系の人が「Standard classの客車はどれか」
と聞いてきたので、「たぶんAからDまでだと思う」と答える。
空いている席を探して座るとさっきの東南アジア系の人が横に座ってきた。
彼はスリランカ人で、絨毯会社の研修でレスターに来ているそうだ。
1月13日に来て、6週間の予定で滞在するそうだ。自分と全く同じ日程である。奇遇だ。
互いの国に関する基本的な情報や、イギリスの天候に対する文句などを話す。
スリランカはかつてイギリスの植民地であったので英語教育はしっかりしている
のだろう、しっかりした英語を話す人であった。彼は途中のKetteringという駅で降りていった。
電車の窓から見る限り、かなりの雨が降っている。
ロンドンは降っていないだろうという希望的観測を持って、
のこのこと出てきたが、ロンドンで大降りだったらしゃれにならんなと思う。
まあ今日は大英博物館にターゲットを絞っているので、
いったん博物館に入ってしまえばあとは問題ないのだが。
研究室の山下が「大英博物館だけは行ってみたいですわぁ」
といっていたので、渡英前からここだけはなんとしても行こうと思っていたのだ。
途方もない規模の博物館らしいので、今日はここだけに専念するつもりである。
12時30分ロンドンセントパンクラス駅到着。
大英博物館に行く前にセントパンクラス駅のそばにある大英図書館に行く。
ここには、大憲章(マグナカルタ)が展示されているのだ。
自分は高校で世界史を履修しなかったので、中学の歴史で習った程度の
知識しかないのだが、確かこのマグナカルタというものが
民主主義の原点と考えられているのではなかっただろうか。
駅を出るとやっぱり雨が降っている。走って大英図書館に向かう。
この中にライブラリがあって、シェークスピアの原稿やマグナカルタが
展示してあるらしいのだ。階段を上がって展示室に入る。入館料はただである。
シェークスピアの自筆原稿や、ジョンレノンの自筆の歌詞、
モーツアルトの自筆の楽譜などが並んでいる。ジョンレノンの自筆の歌詞は
広告の裏のような紙に殴り書きのような文字で書いてある。
思いついて一気に書いたといった感じ。
そして、展示室の真ん中にマグナカルタがあった。異常に分厚い本である。
一ページ一ページに細かい字で条文が刻まれている。
700年くらい前のものなのでだいぶ痛んでいるがそれでも字を判読することは
可能である。しかし意味のほうはよく理解できない。
ここで大英図書館はおしまい。常設展示室の他にも、
「オスカーワイルドその生涯」という名前の特別展示があったが、
これは有料だったのでパスした。大英図書館を出ると雨は小降りになっていた。
大英博物館までは地下鉄で一駅なので、けちって歩くことにする。
1時過ぎに到着。裏玄関から入る。
ここも入館料は無料である。案内盤を見てみるが規模がでかすぎてなんのことやら
わからない。とりあえず2階に上がり手近なところから見ていくことにする。
始めはエジプト関係。エジプトらしい像がいっぱい置いてある。
その他にもおおきな棺などがいっぱいある。
どうやら大英博物館の特徴は同じようなものがいっぱいあるというところらしい。
面白いのはこれらのいくつかは実際にさわることができるということ。
みんなべたべたとさわっている。自分もそれにならってべたべたと
いろんなものにさわる。紀元前のものにさわっているという感慨はあるが、
別に材質が特別であるということはない。それにしても、こんなにいっぱいのでかいものを
エジプトから運んでくるのは大変だったろうなと思う。大英帝国の時代に持ってきたんだろうか。
有名なロゼッタストーンの前は黒山の人だかり。
なかなか見えない。それでもしばらく待っていると前があいて実物を
拝むことができた。思っていたよりもきれい。日本の墓石のようであった。
何が書いてあるのかは象形文字なので不明。
次はギリシア関係である。ギリシアというよりもパルテノン神殿の一部
を持ってきているのだ。写真にあるのは全部神殿の正面の装飾が
落っこちたものを拾ってきたものだと思う。こんなのが延々と展示されている。量が半端ではない。
ひとつひとつをきっちり見ていったら、ギリシア編だけで半日かかると思う。
ということででっかいものだけをじっくりと見て後は流す。
ギリシア文明の建築物というのは全部真っ白であるので、
エジプトに比べて少し単調であった。絵柄も天使とか戦士とかばっかりだし。
このあたりで、写真を撮ることをやめる。こんなの全部撮っていたらきりがない。
メモリーカードが幾らあっても足りない。
次は更に階を上がって、イギリスの過去の文明に関する展示を見る。
イギリスに来る前に、ごく簡単なイギリスの歴史に関する新書を読んでいた。
イギリスには、ローマに支配されていた時代、アングロサクソンの時代、
デンマークのデ−ン人による支配の時代など幾つかの時代があったようだ。
その各時代ごとの展示がなされている。アングロサクソンは今でこそWASPとか
言われて世界の中心であるが、紀元後400年くらいまでほったて小屋のようなものに
住んでいたようだ。使っている道具も今一つ洗練されていない。
ローマによる支配の時代のほうが文化的には洗練されていたような印象。
この時点でもう3時。まだ10分の1も見ていないような気がする。
ここで少し休憩を入れる。博物館に付属しているカフェは長蛇の列。
朝、駅でスニッカーズを買っていたので、ベンチに座ってそれを食べ、水を飲む。
この博物館には座って休むことができる場所がたくさんある。
それだけ見るのが大変だということなのだろう。
休憩を終え、売店で5ポンドのパンフレットを買う。
それを読んでみるとまだまだ見るところはあるようだ。
エジプトにしても自分が見たのはまだほんの一部であることが判明。愕然とする。
気をとりなおして、今度はアメリカ関係に向かう。
アメリカという国はかつてはシベリアからわたってきたアジア系の人々の
住むところだった。その時代のものが展示されている。
アラスカ大学フェアバンクス校の博物館で見たようなものと
良く似たものが多い。色使いがエジプトやヨーロッパとはかなり違う。赤が多い。
それと、寒いからかもしれないが動物の毛を利用したものも多い。にぎやかな感じ。
イギリスやスペインの入植によって、どんどん住む場所を制限されていった
ような歴史も紹介されていた。あらためて酷い話だなと思う。
次は、南アメリカ関係。アステカ文明とかインカ帝国とかその辺り。
お面がおもしろい。顔がなんともいえない表情。埴輪に通じるものがある。
ヨーロッパのものは洗練されているので、こんなみょうちきりんなお面はまず存在しない。
洗練されていないほうが色も鮮やかだし見ていて面白いなあと思う。
ヨーロッパの古代文明のものは、なんとなくまとも過ぎるというか、
おもしろみにかける部分がある。整いすぎているのだ。
次は中東関連。あいかわらず忙しい。中東関連はブルーが美しい。
この色はコバルトや銅などで出しているそうである。鮮やか。
トルコなどにも一度行って見たいななどと思う。次はアジア。中国、韓国、日本というところ。
ここらへんから、疲れてきて、見るのが適当になってしまう。
アジアはなじみのあるものばかりだからなおさら。
全てのところをさらっと見ているのにもう4時30分である。
なんということだ。最後に大英博物館のライブラリに行く。それにしてもすごい数の蔵書である。
さすがに驚いたので写真を撮ってしまった。ここで閉館まで残り30分となったので
引き上げることにする。もうへとへとである。
どこかに座ったら最後、二度と立ちあがれないほどの疲労感。
とにかく規模のでかい博物館だった。少々やりすぎの感もある。
それにしてもこれだけの展示を管理して、入館料が無料というのはすごい。
中でパンフレットなどを買うためある程度のお金を落とすことにはなるが、
そんなんでやっていけるのだろうかと思った。
帰りはまたセントパンクラス駅まで歩く。雨は依然としてぽつぽつ降っている。
5時30分のシェフィールド行きの電車に乗る。超満員である。
やっとのことであいている席を見つけ、大英博物館のパンフレットなどを読んで過ごす。
6時50分レスター着。宿舎まで歩いて帰る。今日もよく歩いた。
宿舎の夕食の時間には間に合わなかったので、帰りにレンジでつくれるカレーという
のを買って帰る。キーマカレーである。レンジで10分ほどあたためて完成。
なかなかおいしい。宿舎の夕食もそうだがイギリスのカレーはおいしい。
まずかったことは一度もない。
シャワーを浴びたら疲れも取れたような気がしたので今日の整理をしてから就寝。

05/01/2001 (Mon)

7時30分起床。眠い。しかも足がちょっと筋肉痛である。週末に動きすぎたか。
特に昨日の大英博物館の疲労が残っているような気がする。
朝食を摂って大学へ向かう。今日は曇ってはいるがそんなに寒くない。
晴れ間はなくても、寒くないだけでありがたいと思わなければならない。
9時前に大学到着。週末の分のメールを一気に処理した後、仕事を始める。
今日の仕事は新しく始めた統計にさらにデータを追加し、最終的な処理をすることである。
まずは、極地研の行松さんにメールを書いてデータサーバを開けてもらうように
お願いする。すぐに返事が来て、サーバを開けましたとのこと。
さっそくサーバから2000年のデータを引っ張ってくるバッチジョブを走らせる。
この処理をしている間に、朝のカフェブレイクに向かう。
予想した通り、土曜日のサッカー観戦がどうだったかを聞かれる。
楽しかったが、Lester教授がうるさかったと答える。一同大笑い。
日曜日は大英博物館に行って、今日はまだ疲れが残っているということを話すと、
「そうだろうそうだろう」という反応。やっぱりあそこは疲れるのだ。
休憩の後は、引っ張ってきたデータの処理。統計を取る前に何段階かの下処理を
しなければならないのが多少面倒である。ここらへんの手法もイギリスから
帰ったら抜本的に見直さないとといけないなと思う。今となっては少し無駄が多いような気がする。
その処理も午前中になんとか終わらせることができた。昼食はサンドイッチとパイとオレンジジュース。
週末をあけたせいか、今日はあまりこのとり合わせが嫌に感じなかった。
また週の後半に向けて昼食のサンドイッチにうんざりし始めるのだろう。
午後はデータを追加してもう一度統計処理をする。これはすぐに終わる。
統計結果をこちらに持ってきてプロット。データを追加したぶん、
ばらつきが収まった。また季節によって母集団の数に違いがなくなった。
この後は得られた分布の平均や標準偏差を求める作業をする。
平均はすぐにもとまるのだが、標準偏差を求める便利な公式を忘れてしまっている。
お手軽が教科書が手元にないのでインターネットで調べてみる。
サーチエンジンで「標準偏差」というキーワードで検索するとすぐに
それらしきページにぶつかる。改めてインターネットの便利さを感じる。
昔ならば外国に来たら電話や手紙でしか連絡が取れなかったのだろうが、
今は電子メールという便利なものがあるし、インターネットでこちらにいながらに
して、日本のニュースも見ることができる。ニアミス事故があったこともちゃんと知っているのである。
(余談だが、フランクフルトからヒースローまでの飛行機も実はニアミスっぽい
場面があった。ふと窓から外をみるとすぐ上を違う飛行機が飛んでいた。
さすがに60メートルという近い距離ではなかったがちょっとびびった。)
ともあれ、これで得られた分布の平均および標準偏差を求めることができた。
ここで午後の休憩。カフェに向かうときに廊下でTimに会い、
ラグビーのチケットが取れたということを聞く。詳細は明日ということだ。
明日はナイターでラグビーを見に行くことになった。寒いだろうなあ。
午後の休憩をはさんで、分布の平均点を一次直線でフィッティングしてみる。
最小自乗法を久しぶりに使う。最初は使い方を忘れていたが、
紙に書いて考えていたらすぐに思い出した。
これをサーチエンジンで調べていたら研究者として少々恥ずかしいところであった。
分布に対して直線を仮定し、係数を求める。
求められた直線を分布に重ねて書いてみるとぴったり合う。
これで係数の値の大小で季節ごとのIMF Byへの依存性を評価することができる。
分布を客観的に評価するにはやっぱり標準偏差とかフィッティングを
やらないとだめだなと改めて思う。ここで5時30分になる。今日はよく仕事をした。
帰る間際にLester教授が部屋にやってくる。「日曜日はどうだった?」と
聞くので「大英博物館にやられました」と答えると、
「そうだろう。あんなところ行くもんじゃないんだ」という風なことを言う。
彼はイギリス人でありながらまだ一度も行ったことがないんだそうだ。
新しく始めた統計の図をプリントアウトして机の上に置いていたので、
「それは何の図だ?」と聞かれる。Steveがやったのと同じようなことを
共役点でやってみたことを報告する。この統計結果についても明日議論しようということになる。
明日のミーティングは14時30分から。準備は万端である。
6時前に大学を出て宿舎に向かう。今日の夕食はカレー。
カレーの日ははずれがないと思っていたのだが、今日のは、異常に塩辛かった。明らかな調理ミス。
夜にのどが乾いてしょうがなかった。水をがぶがぶのんでしまう。
カレーに対する信頼が一気に消滅。
昨日の日記に「イギリスのカレーはおいしい」などと書いた自分が情けない。

06/01/2001 (Tue)

7時30分起床。相変わらずの規則正しい生活である。朝食を摂り大学へ。
今日は久しぶりの快晴である。しかし、放射冷却が起こっているのかとても寒い。
9時前に大学に到着し、メールのチェックをした後、仕事を始める。
今日は午後に研究についてのミーティングがあるのでその準備が主な仕事。
カフェブレイクではトムクルーズとニコールキッドマンの離婚が話題になる。
ハリウッドの映画俳優の動向はイギリス人達も気になるらしい。
新聞には「Mission Impossible」をもじった「Marriage Impossible」
という見だしが出ていた。うまいこと言うもんだ。ブレイクの後もミーティングの準備。
昼食は、同じ部屋のJackyの誕生日ということで少し高級なカフェテリアに行く。
ここは隣の建物の5階にあり、大学のスタッフがゲストなどを連れて行くようなところ。
昼間から皆でビールを飲む。特別な挨拶やプレゼントの贈呈があるわけではなく、
みんなでたらたらとビールを飲んでいるだけであった。午後14時30分からミーティング開始。
このミーティングにはSteveも来る予定であったが、彼は今日は欠席。
彼の奥さんのGabbyのおばあさんが亡くなったらしく、
彼女の実家があるグラスゴーまで行っているそうである。
Lester教授とEmmaと1週間の作業についてディスカッションをする。
まず昼間側での統計結果の比較。これは南北両半球のレーダーで非常に調和的。
ただし、南半球のほうが若干スペクトル幅が大きいという傾向があることが分かった。
これはEmmaと同時観測のイベントをリストアップしていたときにも
なんとなくそういう傾向があるなあということは話していたので、
実際の観測をきちんと反映しているということでいいだろう。
緯度ごとに分布を切り出してヒストグラムの形で更に比較しようということになる。
次に、イベント解析について考えていく。
リストアップした13イベントをさらに絞り込んで解析していくイベントを選ぶ
ことにする。Lester教授の意見と我々の意見を総合して、
最終的に5つのイベントが選ばれた。この5イベントについて他の観測
をいくつか見てみることになる。Solar Windは自分の仕事で
IMAGEの磁場と、DMSPのスペクトログラムはEmmaの仕事。
Solar Windに関してはACEのデータをすでに持っているので簡単な仕事である。
FTEのイベントと新しく始めた統計の仕事に
ついてはSteveが帰ってくるのを待って話をしようということになる。
1時間程度でミーティングは終了。次回は来週の火曜日。
また、来週の金曜日にグループミーティングで話をすることになっているので、
何を話すかを今週末にLester教授と検討することになった。
4時頃にTimが部屋にやってくる。今日は彼がラグビーを見に連れていってくれるのだ。
Timの自宅の地図をもらい7時に行くということを約束する。
できるだけ暖かい格好をしてこいということだ。どうやらスタジアムは寒いらしい。
5時過ぎに大学をでる。6時からの宿舎の食事を摂る。
今日はチキンの串焼きのようなものだ。まずいということではないが、
味があまりない。6時30分くらいに再び宿舎を出る。6時45分にTimの家に到着。
彼は彼女のEmma(一緒に研究をしているEmma Woodfieldとは別人。この研究室には
二人のEmmaがいる。Timの彼女はEmma Bunceという名前)と一軒屋に住んでいる。
それにしても、イギリスの男女関係というのはよくわからない。
とにかく籍を入れるという概念があまりないように思える。
TimとEmmaの関係というのは限りなく夫婦に近い。しかし法律上は結婚していないのだ。
SteveとGabbyにしてもそう。子供がいるのに籍は入れていない。
ともあれ、7時前にTimの家を出て、パブへ行く。ここでハーフパイントのビールを
飲んでけいきづけをする。ラグビースタジアムはこの前行ったサッカーのスタジアム
のすぐそば。大学からも歩いて10分という距離である。
Timにチケットをもらう。彼らはシーズンチケットを持っているのだ。
ラグビースタジアムは、サッカーよりも少し広いような印象。
立見席の一番前に陣取る。この立ち見席は少々がらが悪い。
競馬場とか競艇場のような感じか。一番前に陣取ったので、
グランドまでの距離は3メートルというところ。アップをする選手を
まじかで見ることができる。みんなでかい。
今日はリーグ戦の試合である。通常リーグ戦は土曜日に行われるのだが、
先週の土曜日にカップ戦があったため、今日に振り替えになったそうだ。
相手はブリストルというところのチーム。
ちなみにレスターのラグビーチームのチーム名は「Leicester Tigers」である。
日本では阪神タイガースの応援をしているので、なんとなく親近感を覚える。
7時45分試合開始。前半はレスターは劣勢。Timの話によると、
今日のメンバーは1.5軍という感じなんだそうだ。
相手が弱いと踏んでレギュラーはベンチに温存しているとのこと。
1.5軍はさすがに弱く、1トライ2ゴールを許し、10点先行される。
前半終了間際にようやくペナルティキックを一本決めて、3対10で折り返す。
後半はレギュラークラスが次々に登場する。イングランド代表のキャプテンとか
サモア代表とかいろいろ。
彼らの加入で後半はほとんどの時間においてレスターがボールを支配。
幾つかのペナルティキックで1点差まで詰め寄る。
後半20分には目の前でトライをとる。これで逆転である。
やはり物理的な距離が近いので迫力がすごい。体がぶつかるバチンという音がする。
最終的には17対10でレスターの勝ち。
この前のサッカーでは、日本の選手でもプレミアリーグでは十分通用する
という印象をもった。テクニックでもフィジカルでも。
しかし、ラグビーは体の強さにおいて多少の違いがあるように感じた。
クイックネスとかはなんとかなりそうだとは思うが。
神戸製鋼の大畑とかは十分やっていけそうな気もする。
9時過ぎにスタジアムを出る。先ほどのパブに再び向かい、祝杯をあげる。
Timによると「良い試合ではなかったが、勝ったという結果は重要だ」とのこと。
なんとレスターはホームで2年間負けていないのである。
TimとEmmaは2年もの間、勝ち試合しか見ていないのだ。これは異常なことだ。
グラスゴーから帰ってきたSteveを電話で呼んでさらに飲む。
2パイントのビールを飲んだあとパブを出て、Timの家に向かう。
ここではウイスキーを飲ませてもらう。Timも相当のレコードコレクターで
いろいろなレコードを見せてもらい、聞かせてもらう。
Stone RosesのデビューアルバムをLPで聞けたのは素晴らしかった。
話題はジョブのことなど。ジョブがないのはイギリスでも同じことのようで、
日本の状況などを説明する。一時的なものはいっぱいあるけれど、
長期のものはなかなかないというようなこと。
結局なんだかんだで、Timの家を出たのは深夜2時。宿舎にもどりそのまま就寝。

07/01/2001 (Wed)

昨日遅くまで飲んでいたので、今日は少し遅めの8時起床。すぐに食事に行き、大学へ向かう。
今日も昨日に続いて快晴。やはり晴れていると気分が良い。
9時くらいに大学到着。メールをチェックする。
昨日、衛星の位置が簡単にわかるWWWの場所を京都の大紀にメールで問い合わせて
いたのだが、その返事が来ていた。教えられたところに行くとちゃんとプロット
を出すことができる。これでどの衛星が使えるかが簡単に分かる。
午前中のカフェブレイクでは、「ラグビーはどうだった?」と聞かれる。
「面白かったけど。めちゃめちゃ寒かった」と答える。
「試合の後、指が動かへんかった」と言うと一同笑う。
イギリス人は割とちょっとしたことで笑うような気がする。
日本人が込み入った笑いを求めすぎるのだろうか。
ブレイクの後は、統計の分布を切り出してヒストグラムにする作業を先にやっておく。
これは非常に簡単な仕事。1時間もかからずに終了。
昼食はいつものようにサンドイッチ。ウインナーのやつを食べる。
このウインナーサンドイッチは、「ALL DAY BREAKFAST」という名前で、
ウインナー、ペーコン、卵が挟まれている。ブリティッシュスタイルの朝食を
ぶちこんだというものである。つまり、自分は2度朝食を摂っていることになる。
2度の朝食と1度のまずい夕食。これではさすがに味気ないので、
最近は休憩のときにおかしなんぞを食っている。これで丁度良い。
午後はSolar Windのプロットを作る。まず、京都からACEのデータを引っ張ってくる。
更に、今までのプロットを少し手直しして一日プロットを作成。
続いて任意の時間幅のプロットも作成する。これでACE衛星に関しては作業完了。
明日は他の衛星で使えるものをピックアップしてプロットをつくる予定。
データはNASAから引っ張ってくるのだろう。
5時30分に大学を出る。寒い。今日の夕食はラムと思われる肉の炒めものと
薄いパン。巻いて食えということか。まずくはない。
付け合せのポテトや茹で野菜も今日は美味しかった。
最近この付け合せの野菜を大量に取っているので、野菜不足は解消されている。
夕食後、シャワーを浴びてベッドでうとうとする。
気がつくと11時であった。3時間くらい寝てしまったらしい。
昨日と今日の日記を一気に書いて12時に就寝。

08/01/2001 (Thu)

今日も7時30分起床。
今日は宿舎の部屋に掃除が入る日であることが廊下に張り紙してあったので、
シーツを交換してもらえるようにたたんでおく。
その他、掃除に邪魔になりそうなものは全てクローゼットにしまう。
朝食に向かうために外に出ると猛烈な寒さ。風も強い。
朝食を摂って大学へ向かう。寒い風がびゅんびゅん吹いている。
間違いなく、こちらに来てから一番寒い日である。
9時前に大学に着き、メールをチェックしてから、
Student Unionの中の銀行にトラベラーズチェックの換金に向かう。
前に換金したのは1月19日であったので、もうだいぶお金がなくなってきているのだ。
今週末に北の方へ遠出をしようと思っているので
懐を暖かくしておく必要がある。前回と同様で、かなり面倒くさい手続き。
パスポートを見せ、全てのチェックに名前と日付を書きこまねばならない。
銀行側の人も、チェック一枚一枚にパスポート番号を書きこまねばならないようで、
非常に手間がかかる。15分ほどかかって全ての作業が終了。400ポンドを得る。
これで滞在の最後まで持つと踏んでいるのだが、どうだろうか。
部屋に戻り、仕事を始める。今日の目標はACE以外の衛星のデータをプロットすること。
まず、衛星の位置のプロットをWWWからダウンロードし、使える衛星をリストアップする。
全てのイベントで、ACEとWINDは使える模様。
また、5イベントのうち3つにおいては、IMP8とGeotailも使えそうである。
早速、WINDとIMP8のデータをNASAから引っ張ってくる。
いつものCDAWebからである。このデータサービスは非常に便利。
フォーマットが統一されているので、ほとんど同じ読み出しプログラムが使える。
3イベント分のデータを取ってきてプロット。
提供されているパラメータに多少の違いがあって、少し手間がかかったが、
なんとか午前中にこの作業を終えることができた。
昼食は、ハムのサンドイッチとオレンジジュース。
昼食の席で、Gabbyが「宿舎はうるさくないか?」と聞いてくる。
今滞在しているのは、College Hallという大学付属の宿舎で本来は学部一年生のためのものである。
自分は、学部生たちが住んでいる本館とは別の短期滞在者用の建物にいるので、
別に問題ないと答える。逆に静か過ぎるくらいだ。午後は、Geotailのプロットを出す作業をする。
最初は同様にNASAからデータを引っ張ってきて自分でプロットしようと
思っていたが、LEPというプラズマを測る機械のデータが
1999年の分についてはまだ公開されていないことに気づき、自分でプロットすることをやめる。
そのかわり、宇宙研のDARTSというデータサービスからできあいの
磁場データのプロットをとってくることにする。
利用申請をWWW上で行い、PostScriptで提供されているプロットをいただく。
非常に簡単。手を抜けるところは手を抜かないと時間がないのだ。これで全てのデータがそろった。
ここで、Emmaが部屋にやって来て、昭和基地のレーダーの位置のデータを
教えてくれないかと言う。メールでレーダーの視野のテーブルを送る。
ここで午後の休憩に行く。今日は人が少ない。人が少ないほど聞き取れる会話の
量が多くなる。現段階では5人以上の集団の会話はまずわからない。
2、3人程度なら半分くらいは理解できる。滞在も残り2週間ほどとなったが、
これからどのくらい聞き取り能力が伸びるのだろうか。
休憩からの帰りに、Steveと明日の午前中にディスカッションをする約束をする。
電離圏対流の季節依存の統計と、Flux Tranfer Eventのデータについて
意見を伺う予定。ここらへんのネタもなんとか論文に出来ないかと考えている。
休憩の後は、出し終わったSolar Windのデータと昭和レーダーのデータを
比較してみる。5つのイベント全てにおいて、IMFは南向きがおおむね支配的。
これは複数の衛星で確認しているのでまず間違いはないだろう。
IMF Bzの南北反転に対してSuperDARNのデータに見えるboundaryにも
緯度変化があるように思える。論点をどこに絞っていくかが問題だ。
ケーススタディでは、全ての観測が調和的であり、かつ何か軸となるような
ものが必要である。それがないケーススタディはただのお話になってしまう。
コーヒーを入れにいったときにGabbyとすれ違ったので、
APLのMap Potentialのプログラムの導入の仕方について聞く。
極地研の行松さんから聞いておいてくれと頼まれていたのだ。
Gabbyのほうから極地研へソフトウエアのCDを送り、
直接解説をしてもらうということで話がまとまった。
ここで今日の仕事は終了。5時30分に大学を出て、宿舎に戻る。
夜になって冷え込みはさらに厳しくなってきた。
ビクトリアパークを横切るときに耳がちぎれそうになった。スキー場並である。
今日の夕食はピザ。なかなか美味しいが、付け合せのポテトが多すぎて残す。
デザートのケーキは美味。部屋にもどると、新しいシーツが配布されていた。
早速ベッドにセットする。やっぱりシーツがきれいだと気持ちがよい。

09/01/2001 (Fri)

今日も7時起床。昨日に引き続いて厳しい冷え込みである。
朝食を摂って大学へ向かう。9時前に大学到着。
メールで極地研のシンポジウムの案内が来ている。7月の30日と31日である。
その前の週はEISCAT Workshopで8月1日からはAP-RASCという国際学会である。
なんと東京で研究会3連発だ。2週間も東京にいなければならないのかと思うと、
すこしうんざりするところだ。おまけにEISCAT Workshopの前は我々が幹事を
務める若手会夏の学校があるのだ。殺人的なスケジュールである。
メールをひととおり処理し、Steveとのディスカッションで喋る内容を整理しておく。
朝のカフェブレイクの後、Steve、Emmaと3人でディスカッション。
まず、スペクトル幅に関する統計の図を見せる。
南北のレーダーにおいて、スペクトル幅の広いエコーが得られる領域は
ぴったりと一致する。南半球のほうがスペクトル幅が広い傾向にあるのは
前にも述べた通り。Steveに、スペクトルからパラメータを算出する
ソフトウエアのヴァージョンの問題が関係しているのかもしれないという
ことを言われる。行松さんに確認してみないとなんとも言えないが、
最近の昭和のデータなので問題ないと思う。
Emmaから北半球のレーダーの統計結果をもらって、ジョイントプロットを
することになった。次に、いくつかのケーススタディの結果を見せる。
全てのイベントについて、軸となる部分、ディスカッションするべき
部分を指摘してもらう。今までは議論するポイントが今一つ判然としなかったので
非常に参考になった。これらのイベントについては、Emmaがboundaryの位置する緯度を特定し、
それを自分が南半球にトレースして直接比較することになった。これは来週の仕事。
そして、Flux Tranfer Eventについては、データをSteveに送って、詳細に見てもらうことになる。
彼によると、このEventの周期は普通のものの倍くらいあるようで、少し特別だそうだ。
1時間弱でディスカッションは終了。大学で作業できるのもあと10日ほどしかないが、
できるかぎりのことはレスターでやっていきたいと思う。
昼食はウインナ−のサンドイッチとオレンジジュース。もう飽き飽きである。
午後は、Emmaから統計結果をもらって、南北両半球の結果を一枚のプロットにする。
なかなかきれいな結果である。これには満足。
午後の休憩でSopheに東京のホテルは一泊どれくらいするのかとたずねられる。
EISCAT Workshopの後、2週間ほど日本に滞在しようと思っているそうだ。
「資金は?」と聞くと、400ポンドと言う。うまくユースとかを使えば
大丈夫だとは思うが、ちょっと足りないかも知れない。
東京から京都までいくらかかるかと聞かれ、新幹線は往復で100ポンドくらいだ
と答えるとびっくりしていた。学割は使えるかとたずねられるが、
外国人の学割ってどうなっているのかわからない。
例え効いたとしても、イギリスの学割ほどのディスカウントにはならない。
東京周辺だけで2週間も何をするのだろう。お金も限られているので、
あんまり買い物などもできまい。休憩の後はグループトークと呼ばれるセミナー。
今日の発表者は、JackyとTimの彼女の方のEmmaとChrisの3人。
Jackyの話はPolar Patchに関するもの。
EISCATとSuperDARNで同時にそれらしきものを観測して、現在解析を進めているところらしい。
プラズマ密度が上がって温度が下がる領域がきれいに観測されている。
温度が下がっているというのが興味深い。Frictional Heatingの逆か?
Emmaの話は、木星磁気圏の電流のモデルを作りましたという話。
ガリレオの磁場データなどから求めたものである。
しかし、データが少ないためなかなかきちんとしたものにはならないそうである。
データが少ないということは惑星をやっている人達に共通の悩みか。
最後はエンジニアのChris。レスターのレーダーのメンテナンスなどについて。
この研究室にはエンジニアが本当に多い。まあレーダーを作っているので
当たり前といえば当たり前だが。セミナーの後、今日はパブに行かずに宿舎に戻る。
明日の朝早く、リバプールに向けて出発するためである。
まだその準備や計画をなにも立てていないので、急いでやらなければならない。
夕食はカレー。今日はまずまずであった。シャワーを浴びて、明日からの計画を立てる。
大学で電車の時刻表をインターネットからダウンロードしてきたので、
それを見てスケジュールを立てる。朝は8時くらいに宿舎を出れば、昼過ぎにリバプールに着ける模様。
宿とれれば一泊してマンチェスターにも行ってみたいと思っている。

10/01/2001 (Sat)

7時30分起床。今日から明日にかけて、リバプールおよびマンチェスターへの
一泊旅行を敢行する。一泊分の荷物を準備して、8時45分に宿舎をでる。
レスター駅までは35分くらいで到着。9時52分にリバプールまでダイレクトに
行ける電車があることを確認する。Young Person Railcardを使って切符を購入。
21ポンド80セントだった。売店でサンドイッチと炭酸水を買う。
9時50分くらいに電車がホームに入ってくる。なんと2両編成。
席を取るのに多少手間取るがなんとか座ることは出来た。電車は定刻通りに出発。
アナウンスによるとリバプール到着は12時33分のようだ。
しかし、この列車はゆっくり進む。ときおり駅でもなんでもないところで
停車したりするから訳がわからない。
途中でバーミンガムにも止まる。窓から見た感じ、なかなか大きい街のよう。
結局40分くらい遅れてリバプールに到着。
アナウンスで、「apologise なんたらかんたら」と言っているので、
謝っているのだろう。リバプール駅は割とモダンな印象。新しくて、清潔。
外に出ると猛烈に寒い。だいぶ北のほうに来たということなのだろう。
駅から出て少し歩いたところにインフォメーションがあるということだったので、
まずそれを探す。駅から3分ほど歩いたところにインフォメーションを発見。
イギリスにしては新しくてきれいな建物である。カウンターで今日宿泊する
ホテルを探してもらう。できれば港の近くがよかったのだが、
そこらへんのホテルは残らずふさがっていた。
駅の近くのホテルをあたってもらい、40ポンドのホテルが見つかった。
多少割高であるが、朝食もついているのでそれで良しとする。
デポジット分の5ポンドを払ってインフォメーションを出る。
リバプール人は人は良いが訛りがきついということを聞いていたので、
ちゃんとコミュニケーションできるのかと思っていたが、
係りの人はとても親切で、英語も聞き取りやすかった。
これで、宿舎の心配がなくなったので、心置きなく行動することができる。
まずは、駅の近くのリバプール博物館に
向かう。入場料は学割が効いて1ポンド50セント。国際学生証を作ってきておいて
よかった。この博物館では、今、music factoryという過去のイギリスのロックの
歴史の展示が行われていた。とにかくたくさんのアーチストの写真があって、
作品をヘッドホンで聞く事ができる。これはかなり見ごたえのあるもので、
特に写真がすばらしかった。幾つかは音楽雑誌などで見たことのあるものであったが、
それにしても昔昔の人から最新の人までよくこれだけ集めたなという感じ。
さすが音楽の街リバプールだけはある。若い頃のキースリチャーズが
かなりの男前だったことを初めて知る。
博物館を出た後、少し山手にあるカトリックおよび英国国教会のカセドラルに向かう。
昔、司馬遼太郎の街道を行くシリーズの「愛蘭土紀行」を読んだ時に、
リバプールにあるカトリックと英国国教会のカセドラルのことが書いてあった。
司馬遼太郎が圧倒され、レスターの連中に聞いても「確かにあれはでかい」と
言っていたので、是非訪れてみたかったのだ。
まずはカトリックの方から。リバプールはアイルランドからの移住者が多いので
(ジョンレノンもたしかその子孫だったはず)、人口の40パーセントがカトリック信者らしい。
このカトリックのカセドラルは非常に近代的。あまりカセドラルという感じはしない。大阪ドームみたいだ。
現在改装中らしく、中に入ることはできなかった。これは非常に残念。
次にそこから歩いて10分ほどのところにある英国国教会のカセドラルに向かう。
こちらはいかにもカセドラルという様相。とにかく異常にでかい。
でかさだけならカトリックのやつよりもでかいかもしれない。
こちらはただで中に入ることが出来た。内部もすさまじいスケールである。
外壁にはステンドグラスが張り巡らされておりいっそう天井の高さを際立たせているような気がする。
日露戦争をやっているころに着工され、74年かかって完成したそうだ。
設計者は完成を見ずに死んでしまったそうである。
ミサのようなことをやっていたので、いすに座ってしばらくの間眺める。
自分は仏教(=無宗教)なので何をやっているのかわからないが、
これだけ大きいカセドラルでやったらさぞ楽しいだろうと思う。
次に港の方へ向かう。英国国教会のカセドラルから歩いて15分くらいだったと思う。
マージー川という川のそばにアルバートドックという船着場があり、
ここにはいろいろな観光スポットが集まっている。観光客もたくさんいる。
道をふさぐように記念写真を撮っている日本人観光客(団体)がいたので、
こころのなかで「死ね」と思う。どうやら、電車やホテルのことを一人でやらなければならないので、
団体の人達に対して、ひがみ根性がでてきているらしい。
それはさておき、まずはリバプール海洋博物館というところに入ってみる。
ここでも国際学生証で学割を使うことが出来て、入場料は1ポンド50セントになった。
この博物館では、海洋貿易の拠点としてのリバプールについて、
さまざまな展示がなされている。第2次世界大戦時のUボートと民間船の戦いという展示を詳細に見る。
小さい時に、父と金曜ロードショーかなんかでやっていた、
「Uボート」という映画を見てたいそうおもしろかったのを覚えていたので、
興味があったのだ。Uボートよって沈没した船は300隻にもおよぶそうである。
沈没した場所の分布をあらわした図があったのだが、驚くことにアメリカ沿岸、
それもそうとう陸に近いところで多くの船がやられている。
後少しというところで沈没させられてしまうとは。その他の展示は船の模型などであまり面白くない。
続いて、テートモダンという美術館に向かう。ロンドンにテートブリテンという
近代美術だけをあつかっているところがあるが、その支店のようなものらしい。
自分は美術展などにはほとんど行かないが、近代美術は見ていて飽きない。
絵画ばかりでないところが良い。平面よりも、彫塑などの立体的で動きがある
ようなものが面白い。単純に形がおかしいとか色があざやかであるとか、
そういう特徴を持った作品にひかれるようだ。しかし、展示の分量が半端ではなかったので、
ここを出た時にはさすがに疲れを覚える。ドック周辺をぷらぷらと歩いてみる。
司馬遼太郎の「愛蘭土紀行」の表紙はこのアルバートドックの写真であるが、
それとまったく同じ風景を目にする。川沿いの建物はやはり古めのものが多い。
駅周辺は非常に近代的に再構築されているようだが、
このあたりはそのままにするように規制されているのだろうか。
マージー川の水は汚い。やっぱりコーヒーのような色である。対岸はまだリバプールであるが、
その先には大西洋が広がっていると思うと、遠くまで来たなあと感じる。
ここらへんで、港周辺を離れて、また街の方へ戻る。
途中に、ビートルズゆかりのライブハウスを中心としたMathew Streetというビートルズ関係の
建物が並んでいる通りがあったので、立ち寄ってみる。入り口から少し入ると、
いきなりジョンの像がある。そして、彼らがいつもライブをやっていたという
Cavernというクラブ。リバプールという街の観光を支えているのはビートルズだというのだから
その影響力は凄い。ただのロックバンドなのに。
街の方へ戻ったら、プレミアリーグサッカーのLiverpool FCのオフィシャルグッズ
のお店があった。ひやかし程度の気持ちでなかを覗いてみる。
お土産に丁度よい値段のものがあったので、幾つか購入。
ここで6時くらいになったので、ホテルに向かう。ホテルでチェックインし、
残りのお金を払う。夕食はホテルの食堂で食べようと思っていたが、
行ってみると結構高級そうなフランス料理くさい。おじけづいてやめる。
街に出て、マトンのバーガーとチップスを食べる。これで2ポンドと少し。
ここの店員の英語がぜんぜんわからなかった。愛想はいいのだが、
訛りがきついのだろう、最初は英語かどうかすらわからなかった。
マトンバーガーは非常に美味しかった。それにしても今日もよく歩いた。
部屋に戻って風呂に入り、テレビで今日のプレミアリーグの結果を見る。
レスターは負け。3連勝はならなかった。7位に後退である。
10時頃からプレミアリーグのハイライトの番組があって、
疲れて眠いにもかかわらず見てしまう。司会はゲイリーリネカーである。
その番組が終わって12時頃に就寝。明日はいよいよマンチェスターだ。

11/01/2001 (Sun)

今日も7時30分起床。なんとか10時くらいまでにマンチェスターに着きたいので、
急いで支度をしなければならない。食堂に朝食を摂りに行く、
セルフサービスでブリティッシュスタイルの朝食である。
ソーセージやらマッシュルームやら非常に美味しいが、
朝なのであまりたくさんは入らない。これを夕食に出してくれることを切に願う。
8時40分にチェックアウト。外に出てみると雨が降っている。
昨日も小雨はぱらついていたが、今日の雨は幾らか本格的だ。
リバプールライムストリート駅に向かう。
マンチェスターピカデリー駅行き9時24分発の電車があるようだ。
チケットは学割で購入。5ポンド33セントだった。
電車はすでにホームに居て、すぐに乗ることができた。
マンチェスターまではだいたい50分というところ。
10時10分くらいにマンチェスターピカデリー駅に到着。
マンチェスターに来た目的は何かというと、The Stone RoseやOasisと
いったプリティッシュロックを代表するようなバンドが生まれた街というのは
いったいどんなところかというのが見てみたかったのが一つ目。
そして、もうひとつは世界でも屈指のビッグフットボールクラブ
マンチェスターユナイテッドのホームグランドを見るということである。
街の中心部へ行かないとなにもわからないので、とりあえずメトロで市街地へ向かう。
メトロと書いてあるので、地下鉄かと思っていたが、路面電車のようなものであった。
電車の窓から見る限り、マンチェスターの街はイギリスにしては非常に近代的。
しかし、日曜日ということもあって、人通りは少ない。
なんとなく全体的に沈滞ムードがあるようにも思える(これは天気が悪かったせいもあると思うが)。
St. Peter Squareという駅でメトロを降りる。ここら辺が、中心部のようだ。
市庁舎の中にインフォメーションがあったので、そこで、
マンチェスターユナイテッドのホームグラウンドへのアクセスをたずねる。
メトロで7駅ほど先にいって、そこから10分ほど歩けばつくらしい。
地図をもらい再びメトロに乗る。このメトロはチケットを駅で買うのだが、
改札はないし、チェックする駅員や車掌も居ない。チケットを買わなくても
まったく問題なく乗れるような気がする。しかし、チケットを持ってないことが
ばれると罰金20ポンドという張り紙がいたるところにしてある。
それが怖いのか、乗客はみんなチケットを律儀に買っている。
メトロはマンチェスター市街を抜けて郊外へと進む。
マンチェスターユナイテッドのホームグラウンドがあるあたりは、
ちょっとしたウオーターフロントのようになっていて、
開発が進められている模様。近代的なビルが立ち並んでいる。
市街地よりも活気がある。ぱっと見てイギリスの街とは思えないくらいだ。
大阪の天保山とか南港のビル群を思い出させる。
日本の建物は新しいものが多いので、この近辺を歩いていると非常に体になじむ。
イギリスの古い建物それ自体は非常にはすばらしいと思うが、
いざそれに囲まれて生活してみると完全に慣れるにはまだ時間がかかるなと思う。
我々日本人は、近代建築に体が慣れてしまっているのかもしれない。
インフォメーションの人に教えられたとおりに歩いて行くと、
マンチェスターユナイテッドのホームスタジアムであるオールドトラフォードが
見えてきた。思っていたよりもでかい。レスターのスタジアムとは大違い。
見え始めてから実際に到着するまでに10分くらい歩いたと思う。
ここで実際にベッカムやギグスがプレーしているのである。
今日は試合のない日なので、スタジアムは静かで、
オフィシャルグッズショップだけが開いている。昨日のLiverpool FCに続いて、
またもサッカーチームのグッズショップに入ることになる。
今はセールの期間中だそうで、かなりの商品が値引きされている。
お土産用のピンバッチなどを幾つか買う。そして、自分用にTシャツを2つ購入。
サイズは12歳から13歳用でちょうどよかった。
スタジアムの周りをぐるっと回って外観を見た後、マンチェスター市街へ戻る。
帰りもメトロに乗ったのだが、ここでチケットを買わずに乗った乗客の
現行犯逮捕劇を目撃した。高校生くらいの男の子は途中の駅で降ろされ、
どこかに連れて行かれた。よかった、チケット買っといて。
再び市街地でメトロを降りて、スターバックスでちょっと休憩。
雨模様のなかを歩いていたので多少疲れがある。このスターバックスの店員も
愛想が非常に良い。たしかに、北の方の人々は愛想がいいような気がする。
レスターの人々もだいたいにおいて愛想はいいが、ロンドンは酷い。
アメリカ並の酷さである。コーヒーを飲み終えると14時前。急いで、
NHKでやっていた「シャーロックホームズ」シリーズの製作で有名なグラナダテレビに行ってみる。
あのシリーズは誰もが一度は見たことがあると思うが、非常によくできている。
自分は中学生の時に、全てをビデオに録画して保存するという壮大な計画を
実行に移したことがある。グラナダテレビではスタジオツアーをやっているのだが、
このツアーは所要時間5時間で費用も15ポンドということなので今回はパスする。
時間があればいずれ行ってみたい。シャーロックホームズシリーズのスタジオ
なんかも見せてくれるようだ。グラナダテレビの周辺には、
科学産業博物館やらローマがイギリスを支配していた時代の
要塞の跡やら観光スポットがたくさんある。
科学産業博物館は面白そうだったが、14時30分になったので、
そろそろマンチェスターピカデリー駅に戻ることにする。
市街地まで歩いてそこからメトロで駅まで。駅でレスターまでの
帰り方を聞く。シェフィールドで乗りかえる必要があるようだ。
15時10分発のシェフィールド行きに乗る。50分くらいでシェフィールド着。
16時02分のロンドン行きに乗りかえる。この電車はレスターから
ロンドンに行く時にいつも使っているやつである。
途中で、「子供が線路の上においた石を取り除くため」という先進国としては
あるまじき理由で20分ほど遅延。この国の電車は本当に酷い。
まともに定刻に着いたことなどない。結局レスターについたのは6時前。
宿舎までまた歩いて帰る。しかし、今週末のリバプールおよび
マンチェスターへの小旅行は有意義だった。
自分が本当に興味があるものを持っている街をあるくのは
非常に楽しいということを改めて思い直した。

12/01/2001 (Mon)

7時30分起床。窓から外を見ると大雨。大学まで濡れながら行くことを覚悟する。
朝食を摂って大学へ。雨は依然として降っている。いつにもまして大粒の雨だ。
しかし、傘をさしているひとは半分くらい。それも年配の人ばかりだ。
若い人はみなフードなどをかぶって歩いている。
滞在も後2週間なので、このまま傘を買わずにいきたいと思う。
せっかくここまで無しでやってきただから、今更買うのはもったいない。9時前に大学到着。
メールをチェックするとEmmaからboundaryの切り出しの結果が届いている。
これを南半球にトレースして比較するのが今日の仕事となる。
大学で仕事ができるのも今日を入れて後9日である。
出来る限りのことをこちらで仕上げて帰りたいと思っているので、
スピードを上げて作業をしなければと思う。
さっそく切り出しの結果を地理座標に変換し、トレースプログラムに
放り込める形に加工する。午前中の休憩をはさんで、トレースプログラムを
動かして南半球にマップする。トレースプログラムはTsyganenkoの磁場モデルを
含んでいるので、引数にKp指数が必要になってくる。
地磁気センターのwebを利用して、Kp指数をチェックする。
研究室の外から地磁気センターのサービスを利用するとは何とも変な気分だ。
やはり、ちょっとKpが知りたいと思った時には地磁気センターである。
構成がシンプルで欲しいものが短時間で手に入るのがいい。
トレースの結果を更に地磁気座標に変換。しかし、なんとも面倒くさい作業だ。
京都に帰ったらもうちょっと整理しよう。
昼前にやっと一連の作業が終結。昼食はサンドイッチとコーラ。
こちらに来てから一日に一本は炭酸飲料を飲んでいる。
能勢さんがアメリカに2ヶ月滞在したとき、毎日なにがしかの
炭酸飲料を飲んでいたということを聞いたが、それと同じ現象だろうか。
それとも、缶コーヒーの代役なのか。
午後は、昭和基地のレーダーのboundaryを判定する作業をする。
これはEmmaが持っている自動判定のプログラムを使わせてもらう。
Emmaに簡単に使い方を説明をしてもらい、IDLのプログラムを動してみる。
昭和レーダーのデータに対しても有効に機能した。これは非常に便利。
ただし、Goの上でしか動かないので京都の計算機に移植するのはちょっと面倒くさいかもしれない。
南北両半球の解析結果を重ねて一枚のプロットしてみる。
5イベントについてこの作業を行ったが、boundaryの磁気緯度は驚くほど一致する。
特に、1999年10月のイベントについては、位置の変化までよく合っている。
統計がぴったりあったことにも驚いたが、ケースでもこれだけ合うとは思わなかった。
面倒な作業をやったかいがあった。5イベントについて結果をプリントアウトする。
明日は、またLester教授とEmma、Steveとミーティングをすることになっているが、
これだけ内容があれば十分だろう。4時頃ににLester教授が来て、
今週金曜日のセミナーで何を話そうと思っているのかをたずねられる。
Emmaとやっている仕事を統計、ケーススタディの両面から話し、
Steveとやっている電離圏対流の季節依存性の統計も少し話すつもりで
あることを伝える。時間は20分程度ということ。そろそろ準備も始めなければ。
帰り際にJackyがEISCATのプロットを持ってやってくる。
どうやら自分がEmmaといっしょに見ているイベントを偶然Jackyも
EISCATで見ているらしい。大きなPolar Patchが観測されているそうだ。
密度の濃いプラズマの塊がPolar Capを動いていくのがわかる。
時間帯も我々が見ているのとほとんどと同じである。
南半球でもFlow Burstが観測されているので、それがPolar Patchである
可能性がある。Interhemisphericな解析も十分可能である。
しかし、南半球にはEISCATのようなISレーダーがないため、
プラズマ密度の情報がないのが痛い。今日の仕事はここで終了。
6時前に大学を出る。帰るころには、雨もあがって、あたたかい。
夕食はカレー。今日はおいしかった。シャワーを浴びて、今日の整理をする。

13/01/2001 (Tue)

7時30分起床。朝食を摂るために外にでるとぬけるような青空。
本当に久しぶりの良い天気の朝。非常に気分が良い。
日本でいる時は天気など特に気にも留めなかったのに、
こちらに来てからは朝起きてすぐに空を見る癖がついた。
イギリス人は天気の話題が好きだとよく言われるが、
ここにいればそうならないほうがおかしく思われる。朝食を摂って大学へ向かう。9時前に到着。
メールをチェックする。APLのMike Ruohoniemiからメールが来ていて、
「予想どおり、君の論文のレフリーに指名された」とのこと。
英語の直しをJGRのオフィスに送り忘れたので直接ファックスしてくれるらしい。
今、京都を留守にしているので、レスターに直接ファックスしてくれるように
返事を書く。彼が片方のレフリーになったなら、受理される確率も
少しだけアップしたと考えて良いだろう。しかし、もう一人のレフリーの
コメント次第ではまたrejectの憂き目に遭ってしまう。まだまだ気は抜けない。
メールの処理をした後は、帰国前日のロンドンでのホテルを
予約するのをこってり忘れていたので慌ててやる。
24日の朝早くにヒースローを出なければならないので、
前日からロンドンにいないといけないのである。
インターネットで予約しようとするが、何度やってもサーバーエラーとやらで
受け付けができない。しょうがないので、秘書のパトリシアさんにお願いする。
アールズコート周辺のホテルをピックアップして、予約をしてもらう。
35ポンドのホテルが予約できた。助かった。
午前中は金曜日の発表で使う図をリストアップする。
20分程度の発表なので、15枚ほどが適当である。
図の作り直しなどをやっていたら昼になる。昼食はまたまたウインナーのサンドイッチである。
今日は、Lester教授とEmmaと研究に関するミーティングをするので
午後はそこで話す内容を整理する。
14時30分からミーティング。今日はJackyも参加してくれることになる。
彼女が見ているイベントと同じ時刻を我々も見ているからである。
今日はSteveはサウスハンプトンに出張で不在。
まずは、boundaryの南北両半球の比較の図を見せる。
これはなかなか良く合っているので評判は良い。
IMFなどを詳細に見てみると緯度変化はどうやらIMFと関連がありそう。
EmmaがプロットしたDMSPやFASTのデータとも良く合う。
これで、こちらでの作業の全貌がだいたい見えたと言って良いと思う。
Lester教授が、「さて、だれがどの部分を書くかを決めよう」と言う。
自分としては、南北比較の統計と昼間側のケーススタディは是非自分で
書きたかったので、その旨を主張する。この主張が受け入れられ、
南北比較の統計と昼間側のケーススタディに関しては自分が責任を持って
論文にすることになった。夜側の統計とケーススタディはEmmaの仕事。
彼女のD論の一部になると思われる。そして、FTE的なイベントは、
Steveを中心にしてまとめていくことになる。
JackyのイベントはJackyが中心になって解析し、
南半球のデータ解析については自分が手伝うことになった。
これで、こちらでの研究も一段落というところか。
Lester教授からは、今週の残りは発表準備に専念するようにという指示をうける。
まだ、プロットも全部出し切っていないし、何より喋る英語を作っていない。
まだ、原稿なしで喋れるほど英語が達者ではないので、
この英語づくりは最重要事項である。言葉をある程度決めていないと全く喋れない。
ミーティングが終わるともう4時であった。
発表で見せる図の準備を続けて5時30分くらいに大学を出る。
今日の夕食は、腐葉土パイである。これがまずい。
腐葉土はどうやらミンチやらたまねぎやらで構成されていることが判明。
どんな調味料と使ったらこんなすごいものが完成するのか。
調理風景を一度見学させてもらいたい。
夕食後は、シャワーを浴びて、今日の整理をする。
発表の流れをぼんやりと考えてみる。英語の原稿を作ることが非常に面倒くさく感じる。
しかし、無しでは絶対にきちんと喋れない。ああ面倒くさい。

14/01/2001 (Wed)

7時30分起床。今日も快晴。雲ひとつない天気である。
朝食を摂って大学へ向かう。9時前に大学到着。
今日は重要なメールが全く来ていなかったので、即仕事にとりかかることができた。
今日は、金曜日の発表で見せるOHPを完成させたいと思っている。
スペクトル幅に関するポンチ絵を一枚作り終えたところで朝の休憩。
休憩の後、レスターのレーダーを使ってSteveがやった統計のプロットを
借りるため、Steveの部屋に行く。そこで、Steveと少しディスカッションとなる。
Steveの統計では冬には電離圏対流のIMF By依存性が消えてしまうという
結果が出たが、自分が共役点でやってみたところ依存性は全ての季節において
クリアに現われた。この原因は何かということが議論の対象。
ひとつはやはり、地理極と地磁気極の関連性の問題があるだろうということ。
もうひとつは電離圏対流とレーダーのビームの角度の問題も関係するだろうと
のことであった。彼の統計もデータポイントがまだまだ足りないということで
不充分なものである由。これは当分の間、open questionということになりそうだ。
Steveとのディスカッションの後、すぐに昼食に行く。今日はハムのサンドイッチと
コーラである。午後は、南北のopen/closed boundaryの位置がIMFとどのような
関係にあるかということを調べるため、衛星のデータを合わせてプロットする
作業をする。ACEのデータを採用し、時間遅れを計算してプロットを作る。
午後の休憩前に完成。どうやらIMF Bzとはかなり細かい対応が取れそうである。
そして、IMF Byの急激な変動に伴って、boundaryも動いているようだ。
ここらへんは、mapの形でプロットをしてみないと詳しいことはわからない。
しかし、ここまでで発表には十分であろうと判断。流れをまとめて、
OHPにプリントアウトする。この研究室では、OHP専用のプリンタというものがある。
いちいちOHPをセットしなくていいので非常に便利に感じた。
京都のプリンタも一台をOHP専用にしたらどうかななどと思う。
今日は、レスター大学に入学を希望する人達のための見学が行われているようで、
入学希望者が父兄とともに大学構内をうろうろしている。
歩いていると、「法学部はどこですか」とか聞かれたりして困る。
いつも「ビジターなもんでなんにもわかりません」と答えるのだが、
どうして以下にもビジターという感じの東洋人にそんなことを聞くのか。
もっと学生っぽい人に聞いてくれ。それはさておき、
京都大学も大学主催でこのような見学の日を作ってみたらどうかと思う。
大学の雰囲気がある程度分かれば、入学試験に対するモチベーションもだいぶ変わると思うのだが。
午後の休憩の時に、京都のOBの山内さんのことが話題にのぼる。
彼は、やはりこちらでも変わり者という位置付け。
自分の先輩だということを話すと、一同びっくりしていた。
休憩からもどると、APLのRuohoniemiから再度メールが来ていて、
もう一人のレフリーもpublishに対して好意的だということを知らせてくれた。
こんなことを著者に教えてしまっていいのだろうか。
しかし、これで現在査読中の論文に対しては少し自信がついた。
頑張って、reviseをし、publishされるように頑張ろうと思う。
帰り際に電離圏対流のモデルのプロットを作ろうとして、少し手間取る。
これが出来ればOHPは全てそろうので、遅くなったが今日の内にやってしまう
ことにする。終わったのは6時30分。今日は宿舎の夕食には間に合わなかった。
たまにはこういう日があっても良い。どうせまずいんだし。
近くの店で、マカロニの入ったコーンスープとパンを買って帰る。
このマカロニ入りコーンスープはなかなかいける。
今度から、夕食を食いそびれたら時に食べるものが見つかった。
これでいつでも宿舎の夕食をさぼれるなどと思ってしまう。
食後はシャワーを浴びて、今日の整理をし、発表の流れを考えてみることにする。

15/01/2001 (Thu)

7時30分起床。今日もぬけるような青空である。これで3日連続の晴れ。
朝食を摂るために食堂へ向かう。今日は、朝食の席でよくいっしょになる
スペイン人とハンガリー人との話が長くなってしまう。
スペイン人はこの宿舎にはたくさんいて、ほとんどの人が英語の勉強に来ている。
彼らの英語は非常に聞き取りにくく、特に宿舎の部屋が近くのミッティという
男の英語はほとんど理解不能。ハンガリー人は分子生物学の研究で来ている。
部屋が隣で同じような滞在目的なのでよく話しをする。
この人はハンガリーでも大学では英語を使わなければならないようで、
非常にプレーンな英語を話す。そんなことで、
宿舎を出たのは8時40分くらいになってしまった。大学には9時過ぎに到着。
メールをチェックする。極地研の佐藤先生から、レスターから帰ったら
一度滞在の報告をしに極地研へ来ないかというメールが来ていたので、
了解の返事を出す。日程は3月7日から一泊二日である。
5月のSuperDARN Workshopのホテルの予約をWebで行なう。
名古屋大学の西谷さんが「早くしないとだいぶ埋まってきてるよ」
ということをメールで知らせてくれたので慌ててやった。
実際安いホテルはかなり埋まりつつあるようだ。
なんとか一泊62ユーロのホテルを確保。例年通り5月の後半に行われるよう。
休憩の時に、レスターからSuperDARN Workshopに行くことに
なっているKatharynにホテルがだいぶ埋まっていたということを話すと、
彼女もびっくりし、急いで手配すると言っていた。レスターからSuperDARN Workshopに行くのは、
Lester教授、Darren、Katharyn、Adrianの4人。休憩の後は、明日の発表の英語づくりの続き。
まだまだ事前にフレーズを考えておかないときちんとした英語が喋れないのである。
いつになったらこの準備なしでできるようになるのだろう。
ラフなものはすでに作ってあったので、最終的なチェックをする。
OHPを見ながら直していく作業が中心。でも、ここで一度作っておけば、
SuperDARN Workshopでもそのまま流用できると思うので、
面倒くさいがきちんとやっておくことにする。
昼食はウインナーのサンドイッチ。今日の昼食は若手全員集合といった感じで、
総勢10人くらいの大所帯である。非常ににぎやか。
Gabbyに先週末の小旅行はどうだったかと聞かれて、
「リバプールのカセドラルが良かった」と答える。
「たしかにあれは誰でもびびるわねえ」ということ。
やっぱりイギリス人でもあのでかさには感銘を受けるのだ。
午後も発表準備。今日はこの作業で一日つぶれてしまった。
帰る間際になんとか、これでいいだろうというものができる。
5時過ぎに大学を出る。いつもより少し早めなので、まだ明るい。
今日は天気も良く、寒さも厳しくないので、
ビクトリアパークを横切るときに周囲の風景を楽しむ余裕があった。
雨がふったり、寒かったりすると身をかがめて足早に通りすぎるだけなのだが。
このような良い天気が続いてくれるといいんだけどなあ。
今日の夕食はラムカレー。まずまずの味。でもこのカレーにもそろそろ
飽きてきたなと思う。夕食後はシャワーを浴びて、
明日の発表の練習をやってみることにする。発表の練習のため、今日の日記は短めである。
いつもが長すぎるのでこれで丁度良いような気がする。

16/01/2001 (Fri)

7時30分起床。朝食に行く。今日は何故か異常に腹が減っており、
パンを3枚も食べてしまう。8時30分に宿舎を出る。なんと今日も快晴である。
空気も少し春めいているような気がする。9時前に大学到着。
メールの処理をしてから、仕事にとりかかる。今日は午後にセミナーで発表を
しなければならないが、その準備はもう終わっているので、
こちらに来る前に計画していて、まだできていない仕事に手をつけてみる。
修士でやっていたテーマのケーススタディのプロットやら、
前田先生が見ているイベントのプロットやらといった仕事。
午前中で、とりあえずのプロットは完成。細部の手直しはまだまだ必要だと思われるが、
これらの仕事は今すぐにやらなければならないといったものではないので、
また後でやればいいだろう。昼食はハムのサンドイッチとコーラ。
午後は、日本に帰ってから極地研で報告をするので、その資料を作ってみる。
ずいぶん先のことであるが、今やっておけば京都に帰ってのんびりできるだろう。
この作業をたらたらやっているともう午後の休憩。
「今日、セミナーで発表だからちょっと気が重いねん」と言うと、
「フレンドリーな雰囲気だから、心配すんな」と皆言う。
4時からセミナー。参加者は20人ほど。自分が最初の発表者である。
20分ほどで準備していた内容を残らず話すことができた。
丁度良い分量だったと思う。さすがにこれくらいの規模だったら、
英語でも落ち着いて話すことができるようになったかななどと思う。
反応はなかなか良かったと思う。幾つかの確認の質問やら、
解釈についての意見があるが、なんとか全てに答えることができた。
サイエンスの話なら英語でもなんとかなるという手応えを少しつかめたような。
自分の次は、Darren。Polarで観測された異常な形の分布関数と
SuperDARNで見える波動が相関があるのではないかという内容。
最後は、TimでSTEREOという新しいレーダーの観測システムに関する話。
ひとつのレーダーで時間をずらしてビームを出し、2つの周波数で同時に
観測ができるというもの。費用はひとつ分で、2倍のデータが得られるそうだ。
片方のデータをSuperDARNのネットワークに提供し、
もう片方を自分たちで好きに使おうという魂胆らしい。
5時過ぎにセミナー終了。セミナー後は、恒例のパブへ。今日もClarendon。
指定席に陣取って、5時30分くらいから飲み始める。
今日は14人くらいの大所帯である。共同研究者のEmmaと仕事以外の
話をする。彼女は学部をケンブリッジで終え、大学院から
レスターに来ている。イギリスでSpace Physicsというとレスターのグループが
一番力があるんだそうで、ケンブリッジやオックスフォードなどからも
学生がたくさん来ている由。ケンブリッジはすごく美しい街なので、
もし今度レスターに来ることがあったら連れていってくれるとのこと。
Emmaと一通りの話をしたあと、Ranviarというインド系の学生と
サッカーについて話す。彼は、リバプールの熱狂的なファンである。
昨日、UEFAカップでリバプールがローマに2対0で勝ったので、彼はご機嫌である。
ローマには我らが中田英寿がいるので応援していたのが、
リバプールのオーウエンに2点も入れられてしまったようだ。
中田は最近リーグの試合では先発できないことが多いので、
「中田もプレミアリーグでプレーすればいいんだが」ということを言うと、
Ranviar曰く、プレミアは上位と下位の差が激しいので、
レベルアップしたいならイタリアに残ったほうがいいんじゃないかということ。
確かに、マンチェスターユナイテッドなんかはめっぽう強いが、
下のほうのチームのレベルはさして高くない。
自分としてはただただ、プレーしている中田英寿が見たいのだが。
英語がうまくなるにはどうすれば良いかを皆にたずねてみる。
やはりテレビやラジオが一番良いのではないかということ。
確かに宿舎にテレビがないのは少し残念である。今度はかならずラジオを持ってこようと思う。
今日も閉店の11時まで、いろいろな人と話をすることができた。
パブを出た後は、これも半ば恒例となっているハンバーガー屋へ。
ビールばかりを飲んで何も食べていないので猛烈に腹が減っている。
ブルーチーズハンバーガーとチップスを頼む。これで2ポンド85ペンス。
400円というところであろうか。今日は誰かの家で食べるということはなくて、
ここで解散。宿舎でハンバーガーを食べて、即就寝。

17/01/2001 (Sat)

10時起床。9時間くらい寝たことになる。ずっと早起きが続いていたので
久しぶりの朝寝ということになる。疲れが取れたような気がする。
この週末はレスターでゆっくりしようと思っている。
これまでの週末は必ず一度はレスターの外に出ていたが、
最後の週くらいはレスターで過ごしてもいい。
電車でどこかへ行くとお金がかかるという事情もある。
本来は、日曜日にLester教授の家に夕食を食べに行く予定だったが、
彼の奥さんのお母さんがおととい亡くなってしまい、
その話は急遽キャンセルになってしまった。これはしょうがないことである。
昨日は、帰ってすぐに寝たので、朝シャワーを浴びる。
シャワーを浴びて部屋に戻ると電話がなる。
この部屋にかけてくる可能性があるのは、細川両親だけである。
案の定、父だった。この日記に食事に対する文句をたらたらを
書いているので、食事はどうだとしきりにたずねられる。
確かに、宿舎の夕食はまずいが、別にひもじい思いをしている訳ではない。
外国での生活なんだからこの程度は当たり前だと思っている。
その代わり、朝食が非常においしいのでトントンである。
週末は朝食がなく、代わりに12時からブランチというものがある。
自分はこのブランチが大好きである。いわば朝食の豪華版といったところ。
今日も、ソーセージ、マッシュルーム、ポテトなどをたっぷりと食べた。
夕食もこれでいいんだけどなあと思う。食後は、シャツやら下着やらを洗濯する。
残りの日数を考えるとこれが最後の洗濯になりそう。
その後は、レスターの街をぶらぶらすることにする。
いつも大学に行く時に通っているのと違う道を通って中心街へ行ってみる。
いままで中心街へ出かけたのはすべて日曜日だったのだが、
そのときは人通りも非常に少なかった。今日は凄い。
みんな土曜日に街に出てくるということを知る。ショッピングセンターもカフェも人でいっぱい。
本屋や、CDショップに立ち寄ったが今日は何も買わなかった。
あまり持ち物を増やしたくないのだ。研究の資料が膨大な量になったので、
帰りのパッキングができるかどうかが少し心配なのである。
来る時、既にザックはパンパンだったので、こちらで増えた荷物が
果たして入るのだろうかと思う。4時頃に中心街を離れて、大型マーケット「Safeway」へ行ってみる。
そこで、スプライトやシュークリームなどを買ってしまう。
どうもこちらに来てから炭酸飲料を欲してしまう。
京都ではほとんど飲まないのだが、こちらでは毎日半リットルは飲んでいると思う。
宿舎まで歩いて帰る。今日も天気は非常に良く、夕焼けが美しい。
特にビクトリアパークを横切る時の景色は最高。
高い建物なく、山などがないので、遠くまで空が美しく見える。
宿舎に帰って夕食へ。週末の夕食は5時30分から。かなり早い。
今日はチキンのシチューのようなもの。まずまず美味しかった。
食後は、シャワーを浴びて今日の日記を書く。

18/01/2001 (Sun)

10時起床。ずっと早起きをしていたので、いくらでも寝ることができる。
おそらく、溜まっていた疲れのようなものもあるのだろう。
窓から外を見ると、濃い霧である。芝生にも霜が降りている。
こういうのをイギリス的天候と言うのだろう。
昼食までまだだいぶ時間があって、腹が減ったので近所まで買い物に行く。
ハムとパンとNew Musical Express(NME)という雑誌を買う。
この近所の店は夜11時くらいまで開いているコンビニのようなもので、
簡単な食料から雑誌や新聞などが売られている。
もう何度も行っているので、店の人にも顔を覚えられたみたいである。
最初の内はあまりフレンドリーではなかったが、
最近急速にフレンドリーになってきた。何度も行っているせいだろうか。
帰って、ハムとパンで簡単なサンドイッチを作り、NMEを読みながら食べる。
週末は朝食は提供されず、昼食が12時からある訳だが、
他の人達は腹が減らないのかなと思う。
これはある意味、週末は昼まで寝ていなさいということなのかもしれない。
12時からの昼食に行く。朝に簡単に食べたおかげであまり腹は減っていない。
ソーセージと目玉焼き、ポテトだけを食べる。しかし、イギリスの
朝食に出てくるソーセージと目玉焼きは非常に美味しい。
このメニューだけは何度食べても飽きることは無い。
昼を過ぎても霧が濃かったが、今日も中心街まで出かけることにする。
天気が悪いせいか街を歩いている人が少ない。
日曜日はみんな家で過ごすのだろうか。
今日は自分へのお土産として靴を買おうと思っている。
昨日はあまりに人が多かったので見るだけで帰ってきたのだ。
見当はある程度つけてあって、First Sportsという店にaddidasの
スニーカーで欲しいものがひとつある。そして、
Clarksの直営店にスエードの靴で欲しいものがある。
そのどちらを買うべきか迷っているのである。
値段はどちらも40ポンドを超えるくらい。どちらも日本と比べるとだいぶ安い。
まずはFrist Sportsのほうに行ってみる。欲しい靴を取って、
店員に6と7というサイズのものを持ってきてもらう。
UKのサイズは6がたぶん24.5で7が25.5であったと思う。
6は明らかにきつい。7も少しきつかった。
7と1/2だったらちょうどいいのだが、ハーフのサイズは無いらしい。
よってスニーカーを買うのはやめにする。
Clarksの店に向かう。欲しいと思っていた靴のサイズ7を持ってきてもらう。
こちらはぴったりである。しかも履き心地が素晴らしく良い。
これを買うことに決めた。スエード地なので防水スプレーや
専用のブラシを勧められるが荷物が多くなってしまうと言って、断る。
また、今はいている靴がだいぶ汚れているのを指摘され、
靴クリームなどを買えと言われるがそれも断る。
そんなもんを買っている金はねえ。支払いを済ませ、店を出る。
フレンドリーだが余計なものを売りつけようとするとんだおせっかい店舗であった。
靴を買ってしまうともう用事はなくなってしまったので、帰途に着く。
いつものように歩行者用の道を通って大学の辺りまで戻り、
ビクトリアパークを横切って帰る。宿舎に着いて、すぐに夕食。
今日はローストビーフであった。これも非常に美味しいメニュー。
前のローストビーフも日曜日だったような気がする。
食後は、シャワーを浴びて、今日の整理をし、買ってきた靴を履いてみる。なかなかよろしい。
問題はどうやって持って帰るかである。帰りの荷物は大変なことになりそうだ。

19/01/2001 (Mon)

7時30分起床。外は今日も曇りである。先週は良い天気がずっと続いたので、
その反動で、今週は悪い天気が続くのであろうか。支度をして朝食に向かう。
スペイン人と話す。彼は、週末にウエールズに行ってきたとのこと。
しかも、彼の語学研修は今週はまるごとお休みなんだそうで、
またどこかへ行こうと思っているらしい。言い身分だのう。
朝食を終え、大学へ向かう。今日は曇っている上に多少寒いようだ。
9時前に大学到着。メールをチェックする。
SuperDARN Workshopのホテル予約の返事が来ている。
ホテルに直接ファックスを送って予約を再確認せよとのこと。
早速、comfirmationの文章を作って指示されたファックス番号に送る。
しかし、何度やってもエラーが帰ってくる。秘書のPatriciaさんが電話局に直接問い合わせてくれて
ファックス番号が間違っていたことが判明。主催者側のミスである。
正しい番号でやりなおして送信完了。後はホテル側からの返事を待つだけである。
しかし、木曜日までに送り返してくれないと、
自分はレスターを離れなければならないので面倒なことになるなあと思う。
まあその時はその時だ。この作業をした後、朝の休憩へ。
週末をどのように過ごしたかを聞かれるが、
レスターでのんびりしていたので、これといったトピックがない。
逆にみんなは週末レスターで何をしているのかをたずねる。
Darrenは、毎週家の内装をしているらしい。Jimは手作りアイスクリームを作っていたらしい。
イギリス人はDIYが好きだというがこれは本当のようだ。
みんなそのような感じで、家でのんびりしているとのこと。
休憩の後は、京都に帰ってもこちらの計算機で作業ができるような環境づくりをする。
プロットなどはどうもこっちでやったほうが、都合が良いことが多い。
こちらのIDLが早いような気がするのだ。マシンパワーそのものの違いか、
それともSGIだからか。そこらへんはよくわからない。しかし、
プロットに関しては、使えるのであればレスターの計算機を使いたいところ。
プロット用のシェルスクリプトなどをいろいろ作成しておく。
昼食は、今日もサンドイッチとオレンジジュース。
午後もこちらの研究環境の整備やらで時間が終わる。
帰り際に残りの期日でやらなければならないことをリストアップしてみる。
各種の結果のまとめなどをまずやらなければならないのと、
幾つか論文用の図も出しておきたい。また、春学会の予稿の締め切りが23日に迫っている。
これを逃すと投稿料が倍に値上がりするので是非ともこちらからやっておきたい。
まだまだやらなければならないことはいっぱいあるなあと思いつつ
今日も仕事終了の時間が来る。5時30分に大学を出て、宿舎へ戻る。
朝は寒かったが、帰りはそうでもない。今日の夕食はピザのようなもの。
生地がパサパサで、あんまり美味しくなかった。しかし、
宿舎の夕食ももう後何回かしか食べられないので、
まずさが少し名残惜しかったりもする。なんじゃそりゃ。

20/01/2001 (Tue)

7時30分起床。今日も曇り空。おまけに霧も濃い。朝食を摂って大学へ向かう。
9時前に大学到着。メールをチェックする。京都のゼミ係りの小阪君からメールがあって、
帰国早々セミナーで発表しないかとのこと。
入試の試験監督で竹田先生の枠が空いてしまったからだそうだ。
こちらで発表した資料などもあるので、喋るのは大丈夫だが、
時差ぼけが心配である。20時間の移動の末に
京都に帰りつくのが日曜日の昼前になると思われるので、
うまくやらないと月曜日のセミナーの時間に起きていられない。
メールに返事を書いた後、ちょこっとインターネットを見てみる。
なんと森内閣の支持率が5パーセントくらいに落ち込んでいるではないか。
20人のうち19人に「あんたはだめです」と言われるのはさぞかし
つらいだろうなと思うが、自分もやっぱり森さんは辞めるべきだと思う。
それはさておき、今日も仕事を始める。
今日は、修士の時にやっていたテーマについての作業をすることにする。
SuperDARNとEISCATの同時観測のプロットを作るのが主な仕事。
京都からEISCATのデータやらなんやらを引っ張ってくる。
こちらのプロットソフトは本当に便利であることを痛感する。
こんな環境でやっていれば、一年に3本も4本も論文が書けるものうなずける。
秘書のPatriciaさんが昨日ホテルに送った予約確認のファックスの
返事を届けてくれる。ダブルの部屋しか開いていないが、シングルの料金で泊まれるそう。
1泊あたり180000リラとあるが幾らなのかすぐにはわからない。
インターネットで調べると100リラが5円くらいとのこと。
ということは9000円くらいだろうか。少し高いなと思う。
昼食は今日もサンドイッチ。この昼飯は他に選択肢がないのでしょうがない
のだが、もっと他にないもんかなと思う。
こちらの人はあんまりきちんと昼ご飯を食べないみたい。本当に軽い食事である。
午後もプロットやらなんやらで時間が過ぎる。
15時30分からLester教授、Emma、Steve、Jackyと研究のミーティング。
今日は最終的にどの部分を誰が責任をもって担当するのかを決める。
まず、昼間側の南北半球の統計とケーススタディについては
自分がやることになった。5月のSuperDARN Workshopまでに
なんとか形にして見せて欲しいということを言われた。
また、夜側の統計とケーススタディについてはEmmaの仕事になる。
これは彼女のD論になるものと思われる。
また、FTE的なイベントについては、Steveではなく自分がやることになった。
Lester教授曰く「Steveに聞きながらやってみろ」とのこと。
しかし、このイベントはちょっと異常なケースのようで、Steveもちょっとよくわからないと言う。
そんなもん素人の自分がどうやっていいものか良くわからないが、
昭和レーダーのデータは非常にインパクトがあるものなので、なんとか形にしたいとは思う。
そして、Jackyのイベントについては彼女が中心になってやることになった。
昭和のデータをJackyに渡さなければならない。
Jackyも他にやらなければならない仕事がたくさんあるので、
このイベントが形になってくるのはまだまだ先のことと思われる。
これでこちらでの仕事もひとまず終了ということになる。
まとめていくには、まだまだ時間が必要だと思うが、それは京都に帰ってからの仕事である。
そんなことで、今日は1時間弱でミーティング終了。
ミーティングの後は、前田先生に頼まれているイベントの清書プロット。
オーロラオーバルを重ねてプロットしたのでより分かりやすくなっていると思う。
ここで今日の仕事時間も終わり。5時40分くらいに大学を出る。
今日の夕食はまたしてもパイである。今日はなかがケチャップ的なものであった。
まずまずといったところ。食後は、シャワーを浴びて、部屋の片付けおよび
ゴミ捨てをする。もうそろそろこの宿舎を出なければならないので、
少しずつその準備もしていかなければならない。

21/02/2001 (Thu)

今日も7時30分起床。こちらに来てからずっとこの時間に起きているので、
最近は、目覚ましが鳴る数分前に勝手に目がさめる。
人間の体内時計というものは偉大なものでることを改めて思い知る。
朝食を摂って大学へ向かう。メールをチェックしてから仕事を始める。
今日も昨日に引き続いて残っている仕事を片付けることに専念する。
前田先生が見ているイベントのプロット係をやっているのだが、
そのプロットの際にどうしても2つのレーダーの観測データを合成する
手続きが必要になる。京都の計算機で合成した結果を読みこもうとするが
うまくいかない。しょうがないので、Jackyにベクトルの合成をどうやっているのか聞いてみる。
速度の合成については彼女も苦労しているようで、
彼女の作ったスクリプトで一度やってみたらどうかと言われる。
やりかたを簡単に教えてもらい、試してみると簡単に合成ベクトルを
プロットすることができた。どうやら合成プログラムのバージョンの問題
のようだ。京都の合成プログラムのバージョンアップをしなければと思う。
この仕事で午前中は完全に潰れてしまった。今日は、ヨーク大学からのお客さんが来ており、
昼食はゲスト用のカフェテリアへ行く。昼からビールを飲む。
このカフェテリアは建物の5階にあって、見晴らしが非常に良い。
周囲に山がほとんどないので、レスターの全貌を眺めることができる。
ほろ酔い加減で午後の仕事を始める。大紀の見ているイベントのプロットなど。
こちらのプロットソフトにだいぶ習熟してきたおかげで、
ほとんどのパターンのプロットは思い通りにできるようになった。
これでこちらでやらねばならないプロットは大体においてできたと思う。
3時からヨーク大学から来ている人の特別講義がある。
pulsationの話。放射線帯の電子のカウントとpulsationの相関が
非常に良いという結果。放射線帯の電子がpulsationを生み出しているという解釈。
pulsationの話は門外漢なのでいつも良く分からずに終わってしまう。
特別講義は1時間程度で終了。今日は、自分の送別会をやってくれるので5時で仕事は終わり。
仕事の終わった人間からパブへ行く。自分は、Lisa、Jackyと一番乗りで向かう。
仕事の終わった人から順にパブにやってくる。総勢15人くらい。
パブでまず2パイントのビールを飲んでから、カレーを食べに行く。
レスターの人々は本当にカレーが好きだ。好きなだけに知識も深い。
メニューが配られてから延々検討するのである。20分くらいあれがうまいだの
これはまずいだのと議論している。自分は、Timの強い勧めにしたがって、
ガーリック入りチキンカレーのようなもの
(本当は長ったらしい名前がある)とライス、ナン、ビールを注文する。
カレーは非常に美味しいかったが、チキンがムネ肉であるために、
多少ぱさつく感じは否めない。インド料理のチキンは全部こんな感じである。
レストランを出て、再びパブへ行く。今日は昼間に1パイントのビールを飲み、
また夜も飲んでいる。本当にろくでなしの日だ。
パブでは、Sophie、Adrian、Jackyと主に話をする。
SophieがEISCAT Workshopで日本に行くために日本のガイドブックを買ったようで、
本の後ろについている日本語の簡単なフレーズの発音をやってみてくれと言われる。
「あれはだれですか」とか「ここはどこですか」とかである。
真似をして発音をしているが、とても日本語には聞こえない。こんなもん覚えるより、
英語をゆっくり話したほうが日本人にとっては分かりやすいはずだということを
伝える。パブでビールを飲んで話をする時は、いくらか楽に英語を使うことできるような気がする。
これはパブに行った時は毎回感じることである。未だにこの原因がよくわからない。
まあ日本でも酒を飲んでいれば多弁になるので当たり前と言えば当たり前だが。
パブが閉店する11時30分までいて、さらに2パイントのビールを飲む。
それにしてもこちらの人達は、よくビールばっかりを延々と飲めるものだと思う。
今日は6パイントのビールを飲んだので腹がパンパンである。
帰りは、Steve、Tim、Adrian、Emmaと歩いて帰る。道すがら、
Emmaに「だいぶ英語良くなったね」と言われるが、自分では全くそう思えない。
1ヶ月半もいて、なんの成長もないように思えてしまう。
例え少しの成長があったとしても、日本にもどってまた日本語に埋もれて
生活していれば1週間で元に戻ってしまうことであろう。
12時過ぎに宿舎に到着。日記も書かずにすぐ就寝。

22/02/2001 (Fri)

8時起床。昨日ビールをたらふく飲んだおかげでぐっすり寝ることができたようだ。
今日は、雲の間から晴れ間がのぞく中途半端な天気。
朝食を摂って、大学へ。メールをチェックする。
Jackyのイベントについて、彼女が昭和レーダーのデータを使えるように
佐藤先生にお願いしていたのだが、OKの返事が届いている。
早速Jackyにその旨を伝え、データを送る。その後は、Emmaと今後のco-authorshipについて話をする。
彼女は今度のEGS(ヨーロッパのAGUのようなもの)で今回の共同研究の結果を
話すそうなので、2nd-authorにならせてもらうことになった。
自分も春学会で今回の結果を話す予定なので同じように2nd-authorに
Emma Woodfieldの名前を入れることになる。そこらへんの話合いが終わって、今日の仕事を始める。
今日は、こちらでプリントアウトしたプロットやら資料を整理することに没頭する。
それは膨大な量で、ファイル3冊分にもなってしまった。
帰りの荷物を考えると、そのなかから必要なものだけを取り出して
持って帰る必要がある。これがまた面倒な仕事。
どれも今後使う可能性がありそうに思えるものばかりでなかなか捨てられない。
それでもファイル3冊分の資料を2冊分にまで減らすことができた。
でも、その2冊はパンパンに膨れ上がっている。
単に、3冊分の資料を2冊のファイルに詰め込んだだけのようにも思える。
これでこちらでの仕事は完全に終わった。もう何もやることはない。
午後の休憩に向かう。Emmaに「これが最後のコーヒーブレイクなんじゃない」
と言われ、そうであることにはたと気づく。明日の今ごろはもうロンドンに
行っていなければならないのだ。このコーヒーブレイクは、自分にとっては
英会話学校のようなもので大変勉強になったと思う。
最初のころは、会話のお題さえわからなかったが、
最近はお題や論点くらいは理解できるようになった。
さすがに細かいところを理解するまでにはさらなる精進が必要であるが。
朝のコーヒーブレイク、昼食、そして午後のコーヒーブレイク。
一日3度の英会話学校で得たものを日本に帰っても維持することはできるのだろうか。
休憩の後は、持ってかえるものを整理し、机を少しきれいにしておく。
今日はポスドクのHinaの誕生日なので、昨日に引き続いてみんなでパブにくりだす。
まだ荷物のパッキングを何にもしていないので、
早く帰ったほうが良いのだろうが、レスターで最後のビールを飲みたかったので
行くことにした。まあ明日の朝もあるしなんとかなるだろうという腹積もり。
今日は、3パイントのビールを飲む。やはり最初の一口が抜群に美味しい。
日本のビールとの違いは、こちらのほうが冷やし方が甘いということである。
ラーガーはたしかに冷たいのだが、日本の生中はもっとキーンと冷えている。
この中途半端に冷たいビールともこれでお別れとなる。
10時くらいにパブを出て宿舎に戻る。そして大パッキング大会。
入りきらないものは別の袋に入れて持ってかえることにした。
大きなザックとパソコンの入った手提げかばん、そして靴やらいらないものがはいった大きな袋。
ロンドンの地下鉄にこの大荷物で乗ることを思うとちょととうんざりするなあ。

23/02/2001 (Sat)

8時起床。ついにレスターを離れる日がやってきた。荷物のパッキングの残りを
して朝食を摂る。部屋をチェックして、荷物の最終確認。
この部屋で1ヶ月半暮らしてきたので、多少の感慨がある。
宿舎の事務室に鍵を返し、大学まで重いザックを背負って歩く。
この道を歩いて大学に向かうのもこれで最後である。これまた多少の感慨あり。
しかも、今日は晴れており非常に景色が良い。
ビクトリアパークを横切る道はもう何度も往復したが、今日の風景は格別である。
大学についてメールをチェックする。こちらでもらったメールアドレス宛ての
メールも京都に転送するように設定する。ここで朝の休憩。
これが最後の休憩である。昨日の午後のコーヒーブレイクが最後だと思っていたが、
予想よりも時間に余裕があって、午前中のコーヒーブレイクに行くことができた。
イギリス人に囲まれた会話環境もこれで最後である。
休憩の後は、こちらで作った研究資料などのファイルをザックに詰める。
これでパッキングは最終的な完成を見る。ザックはめちゃくちゃ重い。
背中に背負ってみると肩がすぐに痛くなる。これを日本まで持ってかえるのは
しんどいなあと思う。12時前に、研究室のメンバーの部屋をまわり、
それぞれに対して帰りの挨拶をする。SteveやTimなど男性陣とは握手をする。
Steveにはメールなどで研究の進み具合を報告して欲しいと言われる。
SuperDARN WorkshopやEISCAT Meetingですぐに会える人もいれば、
今度レスターに来る時まで会えない人もいる。
しかし、この研究室の人々は本当に良い人ばかりであった。
これが、自分の滞在が有意義になった最大の理由であろう。
12時過ぎに大学を後にする。重い重い荷物を持って駅に向かう。
ロンドンセントパンクラス駅行きの切符を買い、電車を待つ。
今日も電車は20分遅れでホームに入ってくる。本当にイギリスの電車はいいかげん。
車内アナウンスで謝っているが、反省の色は無い。12時50分レスター発。
車窓からレスター大学の一番高いビルが見える。少々の寂しさがある。
しかし、また来れると思う。今度来た時は、
もっと英語ができるようになっていたいし、もっと長い間研究したい。
重い荷物を持って歩いたせいか車内では爆睡。気がつくともうロンドンである。
14時02分ロンドン着。ここからまたピカデリーラインでアールズコート
まで行かねばならない。本当に荷物が重い。郵便で送らなかったことを少し後悔。
地下鉄のワンデイトラベルカードを買って、地下鉄でアールズコートまで行く。
所要時間は20分程度。車内はかなり込み合っており、重い荷物を引きずって
右往左往する。このピカデリーラインはヒースロー空港まで直接行っているので、
車内には自分と同じように大きい荷物を持って右往左往している人が何人も居る。
地下鉄を毎日利用しているロンドン市民にとっては大迷惑なことだろうなと思う。
14時30分くらいにアールズコート到着。インターネットからダウンロードした
地図を元に予約したホテルを探す。これがなかなか見つからない。
大きな看板などがあればいいのだが、どの建物も入り口に小さく名前が書いてある
程度。ホテルを見つけるまでにまた右往左往する。それでも15分くらいで
予約していたWestbury Hotelを発見。早速チェックインする。
料金は30ポンド。カードで支払いを済ませる。今日は夕方から友人に
付き合ってもらって研究室や地磁気センター、極地研用のお土産を買う予定。
3時過ぎに友人の携帯に電話する。3時30分にピカデリーサーカスで
待ち合わせの約束をする。すぐにホテルを出て、再びピカデリーラインに乗る。
3時35分に待ち合わせ場所に到着。5分遅刻してしまった。
まずは、SOHO付近のコーヒーショップでコーヒーを飲む。
今日は朝から移動移動で慌しかったのでちょっと落ち着きたいと思ったのである。
アメリカンな感じの(用はスターバックス的な)コーヒーショップで
久しぶりにアメリカンなカフェラテを飲む。
やっぱりスターバックス的コーヒーはうまいなと思う。
ここで4時30分くらいまでたらたらと長話をしてしまう。
人と日本語で会話するのが久しぶりのことなので、うれしかったらしい。
コーヒーショップを出て、フォートナムメイソンへ行く。
ここは紅茶の専門店で皇室御用達だそうである。広い店内には
観光客がどっさりと居る。日本人もたくさんいる。こんなに大量の
日本人を見たのも久しぶりだ。お土産として紅茶の詰め合わせセットを買う。
2パックで、13ポンド程度。日本で買うよりは多少安いような気がする。
この店は紅茶の他にもチョコレートなどを売っており、友人が1パック買う。
自分も記念に1個だけ買おうとして注文すると、ただでもらうことができた。
まあ紅茶買っているからね。ここからGreen Parkという駅まで歩き、
ジュビリーラインという地下鉄でFinchely Roadという駅まで行く。
ここで友人が良く行くというイタリア料理の店に連れていってもらう。
この店は友人の知り合いがやっているそうで、ひょっとしたらただで
食べられるかも知れないとのこと。店に入ると友人の知り合いの人がちょうど
居て、ただで何でも食って良いと言われる。サラダ、パスタ、ピザなどを
注文し、ワインも飲ませてもらう。今日はどうやらただでなんでも食べられる日のようだ。
久方ぶりのイギリス料理以外の食事。やっぱりイタリアンはうまい。
食後にはコーヒーまで飲ませてもらう。全部ただ。
それにしても、ちょっと運が良すぎるような気がする。逆に、帰りの飛行機にトラブルの予感がある。
おごってくれたイタリア人にお礼を言って、9時頃に店を出る。
友人の家の方向と自分のホテルの方向は逆なのでここで別れる。
今回のイギリス滞在では大変お世話になった。またの再会を約束する。
ジュビリーラインでグリーンパークまで戻り、ピカデリーラインに
乗り換えてアールズコートに帰る。それにしても、ロンドンには日本人が多い。
観光客だけではなく、実際に生活していると思われる人も多く見うけられる。
イギリスという国の治安が安定していて、生活しやすいということなのかもしれない。
9時30分過ぎにホテルに帰り着く。シャワーを浴びて今日の日記を書く。
これがイギリスで書く最後の日記となる。
明日はヒースロー9時発の便に乗らなければならないので、11時くらいに就寝。

24/02/2001 (Sun)

今日は5時起床。昨日寝つきが悪かったこともあって非常に眠い。
実質2時間くらいしか眠れていないのではないだろうか。
荷物をまとめてホテルをチェックアウト。まだ夜が明けきらない街を地下鉄の駅まで歩く。
ここからピカデリーラインでヒースローへ向かうことになる。
アールズコートからの運賃は2ポンド30ペンス。朝の地下鉄は非常に空いており、
大きな荷物を持って乗りこんでも何の不自由もなかった。7時過ぎにヒースローに到着。
ヒースローの地下鉄の駅は2つある。ターミナル1、2、3とターミナル4である。
自分が乗るルフトハンザはターミナル2らしいので、
ターミナル1、2、3駅で地下鉄を降りる。ルフトハンザのチェックインカウンターで
チェックインを済ませる。ザックは関西空港までダイレクトに運ばれるので、
しばし重い荷物から開放されることを喜ぶ。ボーディングが8時35分からなので
まだ1時間以上ある。免税店を見てまわるが、これ以上なにかを買おうという
気はおこらない。まだ40ポンドほどこちらの通貨が残っているが、
また今度来る時のために残しておくことにする。
フランクフルト行きのルフトハンザはなかなかゲートが決まらない。
ボーディングの10分前になってやっと案内板にゲートが表示される。
7番ゲートから搭乗。自分はZone6なので一番最後に乗りこむことになる。
このZoneという概念は日本にはあまりないのかもしれない
(自分が見たことがないだけかもしれないが)。
国際線にのると大体このZone指定があって、乗る順番が決められている。
二穴とアラスカに行った時も、Zoneの何番から搭乗するのかのアナウンスが
今一つ良く分からずに二人でおたおたしたことがあった。
しかし、今日はアナウンス通りに最後に乗りこむことができる。
ここらへんの作法というのは数をこなせば自然にこなせるようになるものだ。
機内はがらがら。ぎゅうぎゅうでないと手足が伸ばせてストレスがない。
9時30分離陸。定刻よりも25分ほど遅れているが、
フランクフルトでは2時間ほどの余裕があるのでまあ心配ないだろう。
水平飛行になってすぐに、チキンのサンドイッチと飲み物のサービスがある。
これがちょっと遅めの朝食。イギリスに来る時は論文など暇つぶしのアイテムを
持って乗りこんだのだが、帰りについては全部ザックのなかに押し込んだ。
よって早くもパソコンをさわっている。使いはじめて10分ほどで、
はやくもバッテリーが10パーセント減少。本当に見掛け倒しのバッテリーである。
何が4時間長持ちだ。うそつけ。11時40分フランクフルト着。フランクフルト
は小雪がちらつく空模様。ターミナルAからターミナルBまでモノレールで移動する。
来る時にもフランクフルトで乗り換えたので、空港の概要が頭に残っており
スムーズに移動することができた。関空行きの便のゲートがまだ最終決定されていなかったので、
カフェテリアでコーヒーを飲みしばり休憩。来る時にドルから両替していたマルクを使う。
またおかしな貨幣をゲット。イギリスの硬貨は格式高いものであったが、
ドイツのマルク硬貨はかなり実用的なデザイン。シンプル過ぎるか。
コーヒーを飲みながらパソコンを触っていると、隣のドイツ人と思われる人が
話し掛けてくる。どうやらパソコンのキーボードに書いてあるひらがなに
興味をひかれたらしい。これは単語かそれともアルファベットのようなものか
と聞いてくる。当然単語ではない。これが単語だとしたら日本語には
パソコンのキーボードに書いてあるぶんしか単語がないことになる。
これはひらがなといってアルファベットのようなものだと答える。
これを組み合わせて単語や文章を作るが、このひとつひとつに意味は無い
ことを伝える。「it's funny」を言われた。
案内板に関空行きに便のゲートが表示されたので席を立ち、ゲートへ向かう。
搭乗ゲートには日本人がいっぱい。久しぶりにこんな大量の日本人を見た。
しかし、久しぶりに見る日本人というのは非常に奇妙。
日本の若い人の服装というのは何だか変だなと思う。
日本の中にいると無意識に流行に影響されて着る服装を決めているのだろうが、
いったん日本の外に出てみると奇妙なもんである。
13時搭乗開始。13時40分に飛行機は滑走路へ向かうが何故かUターン。
風向きの関係かと思ったが、すぐにアナウンスがあり、エンジントラブルとのこと。
これから調査、補修をするので1時間くらいに時間を要すとのことだ。
昨日、ただで飲み食いできた時に、なにかいやな予感があったのだが、
見事的中である。機内で閉じ込められている間、隣に座っているブルガリア人と
話をする。彼は、日本に滞在している友人を訪ねる予定だそうである。
彼はドイツ語をかなり理解することが出来て、アナウンスの内容を逐一
教えてくれる。結局補修に2時間くらいかかった。再び離陸準備に入ったときには
16時をまわっていた。まあとりあえず離陸できたから良しとするべきである。
フランクフルトで一泊とかいうことになっていたら、洒落にならなかった。
関空到着は2時間ほど遅れて10時の予定。昼前には京都に着けるだろうと
目算していたが、ひょっとしたら無理かもしれない。
機内は満席であったので、なかなかしんどい旅となってしまった。
エンジンの修理の2時間と実際のフライト11時間で計13時間。
日本時間の日曜日10時に関空に到着。入国審査、荷物の受け取りなどはいつもどおり。
日曜朝の到着なので到着ロビーもいつもより閑散としている。
帰りのはるかもがらがら。こんなことは初めてである。
久しぶりとなる日本の風景も予想していたほどの感慨はない。
思っていたよりも、普通であった。1時30分に京都駅到着。
これで45日の自身最長の旅が終了。

もしこの日記を読んでくれている人がいたら感謝します。(fin)


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